「おもしろ古典落語」の70回目は、『がまの油(あぶら)』というお笑いの一席をお楽しみください。
むかしは、寺や神社の境内や縁日、人がにぎわう場所にはさまざまな物売りが出て、口上を述べ立てて人を集めていましたが、その中でもハバをきかせていたのが、がまの油売り。黒紋付の着物に袴をはき、白鉢巻きに白だすきといったかっこうで、がま蛙のひからびたのを台の上に乗せ、脇の箱には膏薬(こうやく)が入っていて、なつめという容器とはまぐりの貝殻が積み上げてあって、太刀がおいてあります。「さあさ、お立会い。御用とお急ぎでない方は、ゆっくりと聞いておいで……」と、通行人に呼びかけます。
さまざまな口上のあと、なつめの蓋をパッと取り、「てまえ持ちいだしたるは、四六のがまだ。四六、五六はどこでわかる。前足の指が四本、後足の指が六本。これを名づけて四六のがま。『そんながまは、オレの家の縁の下や流しの下にもいる』というご仁があったが、それは俗にいうおたま蛙、ひき蛙といって薬力と効能の足しにもならぬ。このがまの棲めるところは、これより、はる〜か北にある筑波山の麓にて、オンバコという露草を食らう。このがまの取れるのは、五月に八月に十月、これを名づけて五八十(ごはっそう)は四六のがまだ、お立あい。このがまの油を取るには、四方に鏡を立て、下に金網をしき、その中にがまを追いこむ。がまはおのれの姿が鏡にうつるのをみておのれぇと驚き、たらーりたらりと脂汗を流す。これを下の金網にてすき取り、柳の小枝をもって、三七二十一日のあいだとろーり、とろりと煮つめたるがこのがまの油だ。赤いはシンシャやしの実、テレメンテエカにマンテエカ、金創には切り傷、効能は、出痔(でじ)、イボ痔、はしり痔、よこね、がんがさ、その他腫れ物いっさいに効く。いつもはひと貝で百文だが、こんにちははおひろめのため、小貝を添え、二貝で百文だ」と、怪しげな口上で見物を引きつけておいて、膏薬の効能を実証するため、刀を取りだします。
「さてお立ちあい、がまの油の効能はまだある。刃物の切れ味を止める。手前取りだしたるはこの鈍刀。粗末ではあるがなまくらではない。幸いここに白紙がある。これを目の前で切り刻んでご覧にいれる。一枚の紙が二枚。二枚が四枚。四枚が八枚。八枚が十六枚。十六枚が三十と二枚。かほどに斬れる業物でも、差うら差おもてへがまの油をぬれば、白紙一枚容易に斬れぬ。さ、このとおり、たたいて……斬れない。引いても斬れない。拭き取ったらどうかというと、鉄の一寸板もまっ二つ。腕に触ったばかりでこれくらい斬れる。だがお立会い、こんな傷は何の造作もない。がまの油をこうして付ければ、痛みが去って血がピタリと止まる」
たいそう売上げがあがって気をよくしたがまの油売り、売り上げで大酒をくらって表へ出てみると、まだ人通りがあります。もうひともうけしてやろうと、例の口上をやりますが、ロレツが回らなくて支離滅裂。それでもどうにか紙を切るところまではきましたが、「さ、このとおり、たたいて……切れた。どういうわけだ?」「こっちが聞きてえや」「驚くことはない、このがまの油をひとつけすれば、痛みが去って……血も……止まらねえ……。二つつければ、今度はピタリと……かくなる上はもうひとぬり……今度こそ……トホホ、お立あい」「どうした」
「お立あいの中に、どなたか血止めをお持ちの方はござらぬか」
「5月24日にあった主なできごと」
1409年 李成桂死去…高麗末の武官で、李氏朝鮮という王朝を開き、朝鮮の基礎を築いた李成桂が亡くなりました。
1543年 コペルニクス死去…当時主流だった地球中心説(天動説)をくつがえし、太陽中心説(地動説)を唱えたポーランド出身の天文学者コペルニクスが亡くなりました。
1949年 満年齢の採用…「年齢の唱え方に関する法律」が公布され、従来の「数え年」から、「満年齢」に変わりました。数え年は、生まれた年を1歳とし、新年をむかえるたびにひとつ歳をとる数え方に対し、満年齢は、生まれたときは0歳、誕生日がくると1歳を加える数え方です。