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『惑星』 のホルスト

今日5月25日は、管弦楽のために書かれた『惑星』をはじめ、吹奏楽曲や合唱のための曲を多く残したイギリスの作曲家ホルストが、1934年に亡くなった日です。

1874年、イングランド中部にあるグロスターシャー州チェルトナムのスウェーデン移民の家系に生まれグスターブ・ホルストは、幼少のころからピアノやオルガンの奏者だった父からピアノを学び、ロンドンのロイヤル音楽カレッジでパリーやスタンフォードから作曲やトロンボーンを学びました。この学生時代にボーン・ウィリアムズと知り合い、生涯、親交を深めました。卒業後はトロンボーン奏者としてオーケストラに加わって生計を立てていました。

1905年、ロンドン近郊にあるセント・ポール女学校の音楽教師の職を得ると、生涯その職を務めましたが週日は多忙なため、日曜日に登校して一日じゅう音楽教室で作曲活動を行い、『惑星』をはじめ、オペラ『放浪学者』、合唱曲・管弦楽のための『サマセット・ラプソディ』、吹奏楽のための『スケルツォ・ハマースミス』など、作品のほとんどをここで完成させました。

代表曲となる管弦楽組曲『惑星』(1914〜16年に発表)は、「水星」「火星」「金星」「木星」「土星」「天王星」「海王星」と、7つの楽章から成る描写音楽の傑作ですが、第4曲目の「木星」は特に有名で、ホルスト自身の名前以上に知られており、近代管弦楽曲の中で最も人気のある曲の1つとなっています。

日本でも、「Jupiter」(ジュピター・木星)が平原綾香のデビュー曲として2003年末に発売され、大ヒットしたことはよく知られています。「火星」の5拍子など民族的なリズムや、「海王星」などで現れる神秘的な和音など、親しみやすく斬新な曲の数々ではあったものの、ホルスト自身は他の作品とは作風の異なる『惑星』ばかりが注目されたことについては、周囲に不満をもらしていたといわれています。


「5月25日にあった主なできごと」

1336年 楠正成死去…鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した河内の武将で、後醍醐天皇による「建武の新政」の立役者だった 楠木正成 が亡くなりました。この日摂津国湊川(現在の神戸)で、九州から東上した足利尊氏の軍勢が、対立する楠正成・新田義貞軍と衝突(「湊川の戦い」)、尊氏軍が勝利して正成は自害しました。

1892年 チトー誕生…6つの共和国(スロベニア・クロアチア・ボスニア=ヘルツェゴビナ・モンテネグロ・セルビア・マケドニア)からなる「ユーゴスラビア」という国がありましたが、この国を一つにまとめあげ、たくましい社会主義連邦共和国に育てあげた政治家チトーが生まれました。

1910年 大逆事件…信州の社会主義者・宮下太吉ら4名が明治天皇暗殺計画が発覚したとして、この日逮捕されました。この事件を口実に社会主義者、無政府主義者、思想家に対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、20数人を逮捕。この政府主導の弾圧は「大逆事件」と呼ばれ、幸徳秋水 ら12名が処刑されました。

投稿日:2012年05月25日(金) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)