今日5月28日は、平安時代初期の貴族で、名作『伊勢物語』のモデルとされている歌人の在原業平(ありわらの なりひら)が、880年に亡くなった日です。
825年、平城天皇の第1皇子・阿保親王を父に、桓武天皇の皇女を母に生まれた業平は、政治的には晩年の879年に右近衛(うこんえ)中将となって蔵人頭を任じられ、在中将・在五中将と呼ばれるほどになりました。しかし、それまでは藤原氏におさえつけられ、おおむね不遇だったようです。
いっぽう歌才に恵まれ、「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして」(自分ひとりは昔ながらの自分であるのに、ながめている月や春の景色が昔のままでないことなどあり得ようか) 「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くゝるとは」(神の代にもこんなことがあったとは聞いていない。龍田川の水を美しい紅色にくくり染めするとは) 「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」(この世にまったく桜というものがなかったなら、春を過ごす心はのどかであったろう) など『古今和歌集』に30首入集しているのをはじめ、勅撰和歌集に87首が採用されています。そのため、『古今和歌集』の選者の一人である紀貫之は、僧正遍昭、小野小町、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主とともに六歌仙の一人としています。
「むかし男ありけり」ではじまる『伊勢物語』は、作者不明とされる恋愛を中心とした歌物語で、ある男の元服から死にいたるまでが全125段にえがかれています。業平の歌が数多く採録されてあることから、業平をモデルにした一代記といわれています。また、美女として名高い小野小町と並び美男子の典型とされる業平は、王朝貴族の理想像となって、謡曲、歌舞伎、絵画や工芸などに広く題材に用いられています。
いま話題となっている「東京スカイツリー」に近い隅田川にかかる橋「言問橋」は、業平の名歌「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」(都という名を持つのにふさわしければたずねよう、都鳥よ、私が恋しく思う人は無事でいるかどうかと) の「こと問はむ」から名付けらました。また最近、東武線の「業平橋」として長く親しまれてきた駅名が「東京スカイツリー駅」に改名されましたが、残念に思っているのは私だけではなさそうです。
「5月28日にあった主なできごと」
1634年 出島の建設開始…キリスト教の信者が増えることを恐れた江戸幕府は、ポルトガル人をまとめて住まわせるために、長崎港の一部を埋めたてた出島の建設を開始、2年後に完成させました。1639年にポルトガル人の来航を禁止してから無人になりましたが、1641年幕府はオランダ商館を平戸から出島に移転させ、オランダ人だけがこの島に住むことが許されました。鎖国中は、オランダ船が入港できた出島がヨーロッパとの唯一の窓口となりました。
1871年 パリ・コミューン崩壊…普仏戦争の敗戦後、パリに労働者の代表たちによる「社会・人民共和国」いわゆるパリ・コミューンが組織されましたが、この日政府軍の反撃にあい、わずか72日間でつぶれてしまいました。しかし、民衆が蜂起して誕生した革命政府であること、世界初の労働者階級の自治による民主国家で、短期間のうちに実行に移された革新的な政策(教会と国家の政教分離、無償の義務教育、女性参政権など)は、その後の世界に多くの影響をあたえました。