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佐々木政談

「おもしろ古典落語」の69回目は、『佐々木政談(ささきせいだん)』というお笑いの一席をお楽しみください。

江戸時代の終わりころ、名奉行で知られた南町奉行・佐々木信濃守(しなのかみ)という方がいらっしゃいました。非番のときはいつも、めだたないかっこうをして、三蔵というお供をつけて町のようすを見てまいります。すると、子どもたちが「お奉行ごっこ」をやってるところに出くわしました。

「両人のもの、頭をあげいっ。そのほうども、往来においてけんかをいたしたるよし、まことにふとどき千万。それがし南町奉行・佐々木信濃守、きびしく取り調べをいたす。けんかのいきさつ、有体にもうしてみよ」「お奉行さまに申し上げます。あたいのことを、みんな物知りだといいます。ここにいる勝ちゃんが、一(ひと)つから十(とお)までに『つ』はいくつあるかって聞きますから、『そんなこと知らない』といったんです。そうしたら、『そんなこともわからないで、物知りがるな』って、勝っちゃんは、あたいの頭をぶったんです。だからあたいもぶちかえして…」「そのようなつまらぬことで、上に手数をわずらすは、不届きしごくである。このたびは、さし許すが、以後は決して許さぬぞ、これ下役の者、両人の縄をといてつかわせ」

こうして両人は、ぶじ許されましたが、勝っちゃんという子が奉行役にたずねました。「お奉行さまは、一つから十までに『つ』はいくつあるかご存知でしょうか」「一つから十までに、『つ』は十そろっておる」「でも、十(とお)には、『つ』はありません」「だまれ、奉行のもうすことに間違いはない。十までの中に『つ』を盗んでる者がおる。ひとつ、ふたつ、みっつ…と数えてみるがよい、どうじゃ五(いつ)つは、『つ』を2つ持っておるであろう」「おそれいりましてございます」こうして、裁判が終わりますと、一人の子どもが「お奉行は、四郎ちゃんがいちばんうまいや、あしたからお奉行は四郎ちゃんに決めよう」「それがいい。また明日もここでお奉行ごっこをしよう」と、子どもたちは四方へ散って行きました。

このトンチに、いたく感心したほんものの信濃守は、「三蔵、ほかの者はともあれ、あの奉行になりし四郎という子ども、親ともども町役同道の上、奉行所に出頭いたすよう申しつけてまいれ」ということになりました。さて、子どもは、桶屋の綱五郎のせがれで十三歳になる四郎吉。奉行ごっこばかりしていてこのごろ帰りが遅いと、親父がしかっているところへ、三蔵がやってきて出頭を告げました。「それみろ、とんでもねえ遊びをするから、とうとうお上のおとがめだ」と、親父はもちろん町役も真っ青になりながら、お白州にやってきました。

ところが、出てきたお奉行はいたって上機嫌。四郎吉に向かって「奉行のこれから尋ねること、何なりと答えることができるか、どうじゃ?」「そんなこと、わけないけど、こんな砂利の上では位負けがして何もいえなくなります。そこに並んで座るなら、どんなことでもしゃべります」 と、許されて遠慮なくずかずか上がってしまったので、親父は、気でも違ったかとブルブル震えているばかり。奉行、少しもかまわず、まず「星の数をいってみろ」と尋ねると、四郎吉少しもあわてず、「それではお奉行さま、お白州の砂利の数をご存じですか?」「そんなもの、なんでわかる」「手に取って見られるものがわからないものを、どうして手のとどかない星の数がわかるのですか」と、これでまず一本。

父と母のいずれが好きかと聞かれると、出されたまんじゅうを二つに割り、どっちがうまいと思うかと、聞き返します。まんじゅうがが三宝に乗っているので、「四角の形をなしたるものに、三宝とはいかに」と聞かれれば、すかさず「ここらの侍は一人でも与力といいます」。衝立に描かれた仙人の絵が何を話しているか聞いてこいといわれると、「佐々木信濃守は馬鹿だといってます」「だまれ、馬鹿で奉行がつとまるか」「そんなにおこったってしょうがありません。あたいがいったんじゃなくて、絵にかいた仙人がいったんです」「しからば、もう一度仙人に聞いてまいれ」「絵に描いてあるものがものをいうはずはない、それをわざわざ聞いてまいれ、という信濃守は馬鹿だと申しました」「こりゃりゃ、あっぱれじゃ…綱五郎、よいせがれを持ってしあわせであるのう。桶屋にしておくには惜しいものじゃ、十五歳になれば、信濃守が引取り近習(きんじゅ)に召し使ってとらせる」

親父は喜んだの喜ばないの、首がはねられるどころか、家柄のよい者でなければ出世のできなかったその頃に、桶屋のせがれが一足飛びに近習になれるというのですから…

もっとも桶屋のせがれだけに、タガがよく締まっていたのでしょう。


「5月18日にあった主なできごと」

945年 紀貫之死去…平安時代の中期に活躍した歌人で、『土佐日記』を著わし、三十六歌仙の1人といわれた紀貫之が亡くなりました。

1265年 ダンテ誕生…イタリアの都市国家フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家であるダンテが誕生した日といわれています。代表作は彼岸の国の旅を描いた壮大な長編叙事詩『神曲』、および9歳の時にであった初恋の美少女ベアトリーチェをモデルにした詩文集『新生』。イタリア文学最大の詩人、ルネサンスの先駆者とされています。

1869年 戊辰戦争終結…明治維新で江戸城無血開城後、旧幕府軍をひきいて箱館(函館)の五稜郭を拠点に、蝦夷(えぞ)共和国を樹立した榎本武揚らが降伏し、戊辰(ぼしん)戦争が終結しました。

1872年 ラッセル誕生…イギリスの哲学者・論理学者・数学者で、原水爆禁止や平和運動に力をつくしたラッセルが生まれました。

投稿日:2012年05月18日(金) 05:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)