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音楽界の異端児サティ

今日5月17日は、ドビュッシーやラベルらに大きな影響を与えたフランスの作曲家サティが、1866年に生まれた日です。

エリック・サティは、パリ音楽院で学びましたが、生活が苦しいために中退すると、世紀末のパリの芸術家が集まるカフェー酒場「黒猫」でピアニストとして働きながら、コクトーやピカソらと交流し、当時としては革新的な曲を次々と発表しました。

中世的な神秘の世界をうかがわせるようなピアノの小品『ジムノペディ』『グノシエンヌ』や声楽曲を書き、今日よく知られている『ジュ・トゥ・ブ(おまえが欲しい)』は特に有名です。この曲は、調性を無視して自由な和音を採り入れたこれまでになかったもので、最近、クラシックに関心のなかった人たちにも受け入れられ、ヒーリング音楽として人気となっています。

また、文学者ベランダが主宰した秘密結社「薔薇十字教団」と関係を持ち、公認作曲家となったサティは、ベランダの戯曲『星たちの息子』(1892年)の音楽を担当すると、その斬新な音楽は、ドビュッシーやラベルをはじめ、印象派の作曲家にも大きな影響を与えました。

サティはかなり変人だったようで、『犬のためのブヨブヨした前奏曲』『官僚的なソナチナ』『不愉快な概要』『干からびた胎児』『梨の形をした3つの小品』など、奇妙な曲名からもそれがうかがわれます。鋭い批判精神とユーモアあふれる人物だったのでしょう、自分あてに手紙を書いてポストに入れて楽しんでいたとか、恋人を窓から投げたといったエピソードがたくさん残されています。

1913年に作曲したナンセンスな音楽劇『メデューサの罠』は、ダダイズムの先駆的な作品として、今や高く評価されているのをはじめ、1917年に発表したバレエ『パラード』は、コクトーの台本、ピカソの舞台美術によるもので、タイプライター、汽笛、ピストルの音などの騒音をを交えたために、賛否両論のうずにまきこまれたといわれています。

サティは1925年に亡くなりますが、晩年は『家具の音楽』といったものを書きました。これは、主として酒場で演奏活動をしていたサティにとって、客の邪魔にならない演奏、すわりごこちのよい椅子のように人に安らぎやくつろぎを与える音楽というのは重要なテーマだったのでしょう。この考えは、現在の「癒し系音楽」のルーツのような存在でした。


「5月17日にあった主なできごと」

1510年 ボッティチェリ死去…「春」「ビーナスの誕生」などの名画で有名なルネサンス期の画家 ボッティチェリ が亡くなりました。

1749年 ジェンナー死去…種痘を発明し、天然痘という伝染病を根絶させたイギリスの外科医 ジェンナー が亡くなりました。

1890年 府県制の公布…現在の都道府県のもととなる府県制が公布され、地方自治のもとができあがりました。しかし当時は、府県の知事は政府によって決められていて、公選となったのは1947年に「地方自治法」ができてからです。

投稿日:2012年05月17日(木) 05:56

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)