今日5月21日は、明治・大正・昭和期に活躍した地球物理学者の田中館愛橘(たなかだて あいきつ)が、1952年に亡くなった日です。
1856年、陸奥国(現・岩手県二戸市)の南部藩士の家に生まれた田中館は、南部藩の藩校で学んだ後に、一家で東京へ移住しました。慶応義塾を中退し、東京外国語学校を経て、1878年に、前年発足したばかりの東大理学部に入学しました。在学中に、イギリスやアメリカから招かれたユーイングやメンデンホールに、磁気の研究の仕方、地震や重力などの地球物理学を学び、富士山頂での重力測定を手伝ったりしました。
1882年に東大を卒業すると、東大準助教授に就任、翌年には助教授となって1885年まで、全国82か所の地磁気を測定しました。1889年公費でイギリス・グラスゴー大学へ留学、ユーイングの師だったケルビンのもとで電磁気学を学び、ベルリン大学での受講を経て、1891年アメリカ経由で帰国、東京帝国大理学部教授に就任しました。
帰国後まもなく、死者7200人、全壊家屋8万戸、マグニチュード8.4という濃尾大地震が発生すると、後輩の長岡半太郎とともに震源地におもむき、岐阜・根尾谷の大断層を発見しました。この調査経験をふまえ、地震研究の必要性を叫び、1892年に設立された日本で初の地震研究組織である文部省震災予防調査会に委員として参加しました。
1895年に、万国測地学会協会総会に参加して、地球上の等緯度(北緯39度8分)地点6か所を選定するという決議を受け、田中館は詳細に調査の上、岩手県水沢に緯度観測所を設立しました。これが1902年に所長となった弟子の 木村栄 による世界的に有名な「Z項」の発見につながることになります。
田中館の実績は数かぎりなくあり、1904年には日露戦争の際、気球の軍事利用研究に参加することがきっかけで、東京帝大航空研究所の設立に尽力したり、1906年には、フランス人海軍士官のグライダー製作に協力、日本で初の近代的航空機としました。1907年にはメートル条約によって設立された国際度量衡委員会の委員となって、メートル法の確立と普及に寄与しました。ローマ字論者でもあり、五十音図に基づき、英語の発音に準拠したヘボン式ローマ字の表記法を改めた日本式ローマ字を考案し、ローマ字の普及にも努めました。
また、外国での学会や委員会によく出席し、「科学界の外交官」とよばれ、その豪放な性格は学生たちにも人気がありました。1916年の還暦祝いの会合で退職を希望し、60歳定年制のできるきっかけをこしらえたことでも知られ、1944年には文化勲章が贈られています。
「5月21日にあった主なできごと」
1575年 長篠の戦い…甲斐の武田勝頼と、織田信長・徳川家康軍との間で、三河の長篠城をめぐる戦いがありました。この「長篠の戦い」で武田軍は、信長・家康の連合軍に完膚なきまでにやられてしまい、多くの勇将を失いました。
1927年 大西洋無着陸横断飛行…アメリカの飛行家リンドバーグは、前日ニューヨークを飛び立ち、この日の夜パリに到着しました。所要時間33時間30分、世界初の大西洋無着陸単独飛行でした。リンドバーグは、1931年には北太平洋を横断して日本にも到達し、大歓迎を受けました。
1928年 野口英世死去…世界的な細菌学者として活躍した野口英世がアフリカで黄熱病の研究中に発病して亡くなりました。