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江戸初期の名君・池田光政

今日5月22日は、「西国将軍」といわれた池田輝政の孫で、岡山藩主として数々の政治改革を行った池田光政(いけだ みつまさ)が、1682年に亡くなった日です。

1609年、姫路藩主池田利隆の長男として生れた光政は、幼少のころから学問への志が深く、特に儒学に熱心で、1616年父の死去により8歳で、42万石の姫路藩主となりました。しかし、翌年幼少を理由に鳥取藩32万5000石の藩主に移し替えられましたが、1632年、23歳で岡山藩31万5000石の藩主となりました。

光政は、幕府が推奨し国学としていた朱子学よりも、儒学の一派で自分の行動が大切であると教える陽明学を藩学として実践したところに特徴があります。中江藤樹を尊敬し、その高弟だった熊沢蕃山を招いて、1641年には、全国初の藩校・花畠教場を開校しました。蕃山は1659年ごろに岡山を去りましたが、光政はその後も藩校を整備したばかりか、藩内に庶民のための手習所を123か所設置したり、1670年には日本最古の庶民学校として閑谷学校を開いて、教育の充実と質素倹約を旨とする「備前風」といわれる政治姿勢を確立しました。倹約令も徹底して、神輿(みこし)やだんじり等を用いた派手な祭礼、元日・祭礼・祝宴以外での飲酒を禁じ、食事は一汁一菜を命じたために、庶民は魚や野菜を御飯に混ぜ込んだ対抗策を考えたといわれています。

光政の改革は宗教面でも発揮され、神道を中心とする政策を取って神仏分離を行いました。また寺請制度を廃止し神道請制度を導入したために、岡山藩内の500もの寺院が廃寺となったといわれています。こうした光政の施政は幕府ににらまれる結果となり、一時は「光政謀反」の噂が江戸に広まりました。しかし、こういった風説にもかかわらず、岡山藩が安泰だったのは、それ以上に光政の数々の改革が高く評価され、一目置かれる存在だったからに他なりません。

さらに光政は、藩の経済発展のための手段として、児島湾干拓による新田開発など、40年にわたる光政の在世中に300町歩5千石を開拓したばかり、新田への用水路の開削、物資運送のための運河や洪水をを守るための排水路を開くなどの治水事業を行ったことも注目されます。

1672年、藩主の座を長男・池田綱政に譲り隠居したものの、亡くなる前年まで実権を握り続け、水戸藩主徳川光圀、会津藩主保科正之と並び、江戸時代初期の三名君の一人と称される74年の生涯を閉じました。


「5月22日にあった主なできごと」

1333年 鎌倉幕府滅亡…新田義貞が鎌倉幕府の執権北条高時を討ち、鎌倉幕府が滅びました。

1775年 蒸気機関の特許…イギリスのエンジニアであるワットは、凝縮機、調速機、変速機の発明など蒸気機関の改良をおこなって、この日特許を取得しました。ワットの蒸気機関は、鉱山や工場で広く用いられ、産業革命の原動力となりました。

投稿日:2012年05月22日(火) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)