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武助馬

「おもしろ古典落語」の65 回目は、『武助馬(ぶすけうま)』というお笑いの一席をお楽しみください。

武助が元の主人のところに久しぶりに帰ってきました。「あれからどうしてた?」「へぇ、こちらをおいとまいただきましてから、何をやってもうまくいかないもんで、上方へ行って役者の修行をいたしました」「ほう、舞台に出たのかい?」「へぇ、出ました。はじめにやったのは忠臣蔵の五段目で」「ありゃ、いい芝居だ。で、おまえの役は?」「猪(いのしし)をやりました」「いのしし? 最初からいい役は無理だな、そのあとは?」「先代萩のねずみ、それから和藤内の虎、慶安太平記の犬をやりました」「十二支ばかりだね、人間の役にはありつけなかったのかい」「上方じゃ無理だと思いまして、また、こっちへもどってきて、新しい親方のもとではじめたもんで、ごあいさつに伺ったようなわけで」「そうか、まぁ、なんにしても家にいた者が役者になったんだ、これからひいきにしてやろう、芸名はなんとつけた?」「まだ、芸名はございませんで、本名の武助でやっております」「武助のままか。それで、どこの座にでるんだ?」「新富座へ出ます。どうかひとつ見物をねがいたいもんで」

「演目はなんだ?」「一ノ谷嫩(ふたば)軍記」「おぅ、熊谷直実が若武者の平敦盛を討つあれだな。おまえの役は?」「へい、組み討ちのところにでますんで」「えっ! あそこは二人だけの芝居だが、まさかおまえが熊谷や敦盛をやるはずはないな…」「馬でございます」「おや、こんどは馬か」「そうおっしゃいますが旦那、馬の足ってのはなかなかむずかしいものですよ。人間が二人で一ぴきの馬になるんですから、前足と後足の息があわなけりゃ、とても歩けません」「おまえはどっちの足だ、前足か?」「いえ、前足は熊右衛門てぇのがやりまして、わたしは後をやります」「うーむ、馬の足の見物っていうのもパッとしねぇが、祝儀がわりだ、みんなを連れていくよ」

元の主人は約束したとおり、店の者や出入りの者を引き連れまして、早くから乗り込み、楽屋へもごちそうを届けたりしましたから、ほかの役者も大喜びです。武助も本番前の練習に余念がありません。そうこうしているうちに出番が近づきますが、前足をやる熊右衛門がいません。探してやっと見つけると、一杯飲んで、いいごきげん。「武助、さっき茶屋のほうへ顔を出したら、おめぇのお客さんにね、酒をしたたかごちそうになっちゃったんだよ。おまけに楽屋に帰ってくりゃ、うなぎのごちそうだ。おなじ馬の友だちにごひいきがついたんじゃ、いっしょに喜ばなきゃならねぇと、ありがたく二人前食っちゃった。おかげで、腹いっぱいだ」しっかりしろと、馬をかぶって準備すると、熊右衛門は大きなおならを一発。鼻が曲がるほどの匂いに、後ろ足の武助はたまりません。

出番が来て、舞台に馬が登場します。主人に連れてこられた客は、ほめなきゃならないと、「馬の後足!、日本一」「うめぇぞ、武助馬!」と変な掛け声をかけます。武助は声をかけられて調子に乗り、馬の後足を熱演。前足は酔っ払い、後足は張り切った武助。馬に乗っている役者は、乗っているのが精一杯。張り切った武助は、後足なのにヒヒーンと鳴き、客は笑いの渦と化しました。

幕が下りた後、武助は親方の元に呼ばれます。「親方、ありがとうございました。おかげさまで、見物の人が、たいそう後足をほめてくださいました」「ばか野郎っ、武助、てめぇ鳴きやがったな」「へぇ、声はどうでござんしたか」「ばかっ、まだわからねぇのか。おまえは後足だろ、後足が鳴いたんじゃしょうがねぇだろ」

「でも親方、熊右衛門は前足なのに、おならをしました」


「3月30日にあった主なできごと」

1746年 ゴヤ誕生…ベラスケスと並びスペイン最大の画家のひとりである ゴヤ が誕生しました。

1853年 ゴッホ誕生…明るく力強い『ひまわり』など、わずか10年の間に850点以上の油絵の佳作を描いた後期印象派の代表的画家 ゴッホ が生まれました。

1867年 アメリカがアラスカを購入…デンマーク生まれでロシア帝国の探検家であるベーリングは、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを18世紀半ばに確認して以来、ロシアは毛皮の貿易に力をそそぎ、1821年に領有を宣言していました。その後財政難に陥ったロシアは、この日アメリカに720万ドルで売り渡す条約に調印しました。1959年、アラスカはアメリカ合衆国の49番目の州になりました。

1987年 ゴッホ『ひまわり』落札…在命中には、わずか1枚しか売れなかったゴッホの作品でしたが、この日に行なわれたロンドンのオークションで『ひまわり』(7点あるうちの1点)が史上最高価格53億円で落札されました。落札したのは安田火災海上保険(いまの損保ジャパン) で、現在は「東郷青児美術館」で公開されています。

投稿日:2012年03月30日(金) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)