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孝行糖

「おもしろ古典落語」の63回目は、『孝行糖(こうこうとう)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「大家さん、このたびはおめでとうございます」「長屋のみなさん、わざわざすまないね、上がっておくれ」「今年21になるあのウスバカの与太郎が、親孝行のほうびに、お奉行さまからごほうびをちょうだいしたそうで」「そうなんだ、青ざし五貫文いただいたんだ。これをあいつに渡すと、すぐ使ってしまって何にもならない。そこでだ、この銭(ぜに)をもとに、商売をさせようと思ってな、何かいい商売はないかな」

「大家さん、こんなのはどうですかな。死んだ親父から聞いた話ですが、昔、大坂に嵐璃寛(りかん)という役者と、江戸に中村芝翫(しかん)という役者がいましてね、璃寛が江戸に出て、芝翫と初顔合わせの興業をやったところ、連日大入りの大盛況だったそうです」「そいつは大したもんだ」「それにあやかって、璃寛糖と芝翫糖という飴を売り出して、はやらせた人がいたんだそうです」「ほう、そいつはおもしろそうだ。どんなふうに飴を売ったんだい?」「頭巾をかぶりましてね、前へ鉦(かね)と太鼓をつるしまして、『チャンチキチン、スケテンテン』という鳴り物がうけたそうです」「ふーん、どんな調子だい?」「やってもいいですか?」「かまわないよ、遠慮なくやっとくれ」「ありがとうございます。家でやると女房がいやがりますんで。では『璃寛糖と芝翫糖。二つの飴の本来は、粳(うる)の小米に寒晒し、榧(かや)に銀杏(ぎんなん)、肉桂(にっき)に丁字(ちょうじ)。チャンチキチン、スケテンテン』」「うれしそうだな」「で、なりは璃寛糖と芝翫糖と同じようにハデにして、飴の名前を『孝行糖』にかえるんです」「そいつはいい、親孝行でほうびをもらったんだからな。上手くいきそうだな、こりゃ」

「その先の口上をつけさせてくださいな」「おや、吉兵衛さんもなにか?」「唐土(もろこし)の二十四孝の一人、老莱子(ろうらいし)という人がいたそうで、70の歳なのに、わざと踊りながら幼子の真似をして、両親を励ましたんだそうです。与太郎も踊りながら飴を売って歩けば、老莱子のように、親孝行ができるというわけです。で、その売り声をやっていいでしょうか」「また始まったな、かまいませんよ」「家でやりますと、子どもがいやがりますもんで」「お前さんとこに子どもはいねぇはずだけど」「いたら、間違ぇなくいやがります。『昔むかし唐土の、二十四孝のその中で、老莱子といえる人。親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖。食べてみな。ホラ、おいしいよ。親孝行をしたくなる! スケテンテン、テンドコドン』」「うまいね、その2つの売り声をつなげて、与太郎に教えてやっておくれ」「おれは、太鼓を買ってくる」「こっちは飴をなんとかしよう」

それからというもの、総出で与太郎に歌を暗記させました。ナントカの一つ覚えとかいいますが、かえって普通の人より早く覚えたので、町内で笛、太鼓、身なりもにそっくり支度してやって、与太郎はいよいよ飴売りに出発します。「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は、うるのこごめにかんざらし、かやにぎんなん、にっきにちょうじ。チャンチキチン、スケテンテン。昔むかしモロコシの、二十四孝のその中で、老ライシといえる人。親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖。食べてみな。おいしいよ。親孝行をしたくなる! スケテンテン、テンドコドン」と流して歩きます。

「妙な奴がきたね。なんだい、ありゃ」「今評判の親孝行の飴やだ」「お奉行さまにほめられたって、あれかい? なんかボーっとしてるね」「だからみんなで手を貸して、飴やをやらせてるんだ」「よし、買ってやろう。おい、飴や」「なんだ」「いばってるね、飴や、歳はいくつだ」「去年はたしか、ハタチだった。ことしは、イタチ」「イタチって歳があるか。飴はいくつあるんだ」「ハタチくらい」「飴がハタチってこたぁねぇだろ、いくらだい?」「ハタチ」「しょうがねぇな、こいつは。四文もやればいいな、手を出せ。おいおい、銭をしまうのはいいが、飴をくれなくちゃいけねぇな」「ほら」「『ほら』はねぇだろ、商人(あきんど)は『ありがとうございます』ぐれぇはいってごらん」「どういたしまして」「こういう飴やもなかなか面白ぇ、オレも買ってやるよ」「おいらも買うよ」

この飴を買って食べさせると、子どもが親孝行になるといううわさも広がって大評判。売れると商売にも張り合いが出るもので、与太郎、雨の日も風の日も休まず、相変わらず声を張り上げ、踊りながら売り歩きます。ある日、水戸さまの屋敷前を通りかかります。江戸市中で一番やかましかったのがここの門前、少しでもぐずぐずしているとたちまち門番に六尺棒で「通れ」と追い払われることで有名でした。ところが与太郎、そんなことは知りませんから、「孝行糖、孝行糖、孝行糖の本来は、うるのこごめにかんざらし……」とやりましから、門番、「とおれっ!」「昔むかしモロコシの、二十四孝のその中で…」「行けっ!」「食べてみな、おいしいよ」「ご門前じゃによって鳴物はあいならん!」「チャンチキチン」「ならんというんだ!」「スケテンテン」「こらっ!」「テンドコドン」……どなり声を鳴物の掛け声に使いましたから、たちまち六尺棒でめった打ち……。

通りかかった人が、「逃げろ逃げろ……どうぞお許しを。ウスバカではございますが、親孝行な者……これこれ、こっちぃこい」「痛ぇや、痛ぇや」「痛いどころじゃねぇ。首斬られてもしょうがねぇんだぞ。……どこをぶたれた」と聞くと与太郎、

頭と尻を押さえて「ココォと(孝行糖)、ココォと(孝行糖)」


「3月16にあった主なできごと」

1600年 リーフデ号漂着…難破したオランダ商船「リーフデ号」が、豊後国(大分県)の臼杵に漂着しました。この船に乗っていたウイリアム・アダムスは「三浦按針」として徳川家康に仕えました。

1934年 国立公園…日本で初めて、瀬戸内海・雲仙・霧島国立公園の3か所が指定されました。現在では、阿寒・大雪山・支笏洞爺・知床・利尻礼文サロベツ・釧路湿原・十和田八幡平・磐梯朝日・陸中海岸・日光・富士箱根伊豆・秩父多摩甲斐・南アルプス・小笠原・尾瀬・中部山岳・伊勢志摩・上信越高原・白山・吉野熊野・山陰海岸・大山隠岐・足摺宇和海・阿蘇くじゅう・西海・西表石垣国立公園が加わり、計29か所になっています。なお国立公園とは、国が指定し保護・管理をする自然公園のことです。

投稿日:2012年03月16日(金) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)