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山号寺号

「おもしろ古典落語」の61回目は、『山号寺号(さんごうじごう)』というお笑いの一席をお楽しみください。

一口に芸人といいましても、いろいろな種類があります。昔は幇間(ほうかん)という芸人がいました。俗に「太鼓持ち」という男の芸者で、芸者といっしょにお座敷にあがり、客を相手にいろいろな芸を披露しました。伊勢屋の若旦那が、上野広小路あたりを歩いていますと、ひいきの幇間の一八(いっぱち)に出会いました。

「そこへ行くのは一八じゃないか」「おや、若旦那、どちらへ?」「天気もいいもんで、久しぶりに観音様へ参詣しようと思ってな」「そうですか、浅草寺ですね」「いや、観音様だ」「ですから、浅草寺」「お前は強情だね。あたしは観音様といってるだろ」「若旦那、一口に観音様といいますが、詳しくいいますと、金龍山浅草寺に安置たてまつるところの聖観世音菩薩といいます。これを山号寺号といいまして、金龍山浅草寺です。四十七士の墓のあるのが万松山泉岳寺、成田のお不動さんなら成田山新勝寺というように、山号寺号はどこにもあります」

「こりゃ、おそれいったね。さすが太鼓持ちだ。ここは下谷の黒門町、ここに山号寺号はあるか?」「ここからは見当たりません」「お前は『どこにでもある』といったぞ」「ですから、お寺のあるところならどこにもある、というつもりで申しました」「言い訳は許さない。お前も太鼓持ちだ。しゃれでもいい、山号寺号を探してみろ。できたら一円やろう、できなかったら縁切りだ。金輪ざいお前を座敷に呼ばないよ」「ありゃりゃ、こうなったら命がけで探しますよ。あるある、若旦那ありましたよ」「あった? ほんとうか」「向こうの家をごらんなさい、『おかみさん、ふき掃除』というのはどうです」「巧い。よし、一円やろう」「ありがとうございます。他にあったら、もう一円くれます?」「あたしも男だ、1つにつき一円やるよ」

「それじゃ、いきますよ。乳母車に赤ん坊をのせてお年寄りがきました。『おばあさん、子を大事』、赤ん坊は丸まる太ってますので『お子さん、肥満児』」「続けるところがいいね、はい、二円」「若旦那、あそこの病院をごらんください。『看護婦さん、赤十字』ついでに『お医者さん、いぼ痔』。あちらのお店を見てください『肉屋さん、ソーセージ』、その隣が『果物屋さん、オレンジ』」「ありゃりゃ、こんどは四円か」「ありがとうございます、その隣」「また隣か?」「『時計やさん、今何時?』『おそばやさん、卵とじ』。向こうから学生が煙草吸ってきますね、『学生さん、問題児』。警官がいます『お巡りさん、どろぼう退治』、目の前にもありました『若旦那さん、いい感じ』」「あたしを持ちあげてきたな、さすがだ、はいよ」「ありがとう存じます、お札をたっぷりいただきました」

「一八にずいぶんとられたな。じゃ、あたしもやってみよう、今やった祝儀を全部ここに出してごらん」「へえ、どっさりいただきました、こんなに」「それを残らずあたしの手の上にのせてごらん」「のせました、何のおまじないですか?」「そうしたら、あたしは着物のすそをはしょるよ」「ますますわかりませんね」「そのあと、この札を懐へ入れて…(急にかけだすと)『一目散、随徳寺』」

「ああ、『南無三、仕損じ』」


「3月2日にあった主なできごと」

1894年 オパーリン誕生…生物の起源を科学的に解き明かしたソ連(現ロシア) の生化学者 オパーリン が生まれました。

1943年 野球用語の日本語化…太平洋戦争の激化に伴って「英語」は敵性語であるとされ、この日陸軍情報部は、日本野球連盟に対し、野球用語を日本語化するよう通達を出しました。ちなみに、ストライクは「よし1本・よし2本」。三振は「よし3本、それまで!」、アウトは「よし、退(ひ)け!」、フォアボールは「一塁へ」などとなりました。

1958年 南極大陸横断に成功…イギリスのフックス隊が、ウェデル海から南極大陸に上陸し、南極点を通ってロス海に到達するまで3360kmの行程を、99日間の苦しい旅の末に、この日横断に成功しました。

投稿日:2012年03月02日(金) 05:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)