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「三井財閥」 を代表する団琢磨

今日3月5日は、三井・三池炭鉱を経営し、三井財閥の総帥となって、大正・昭和初期の日本実業界のトップに立った団琢磨(だん たくま)が、1932年に暗殺された日です。

1858年、筑前国(現・福岡市)に福岡藩士の4男に生まれた琢磨は、勘定奉行だった団家の養子となって藩校に学び、1871年14歳で、旧藩主に伴って岩倉使節団に同行して渡米、そのままアメリカに留学しました。

1878年、マサチューセッツ工科大学の鉱山学科を卒業して帰国後は、大阪専門学校助教授をへて、東京大学助教授となり、工学・天文学などを教えました。

1884年、工部省鉱山局に入り、三池鉱山技師となって勤務するようになった団は、採炭技術の習得のためにヨーロッパに渡ったのち、政府から三井に売却された三池鉱山に移って、事務長に就任します。その間、三大工事といわれる三池港の築港、鉄道の敷設、大牟田川の川底にある土砂の除去を行い、渡欧の折に習得した大型ポンプ技術で、水没した勝立坑の排水問題を解決するなど、炭鉱の出炭能力を大幅に引き上げました。そうした功績が評価され、1894年には、三井鉱山の専務理事となって、三井の全鉱山の監督をすることになりました。

さらに1909年三井鉱山会長となったころには、団の手腕により「三井の富は石炭から」といわれるほどの会社となり、三井銀行や三井物産と肩を並べる「三井のドル箱」として、三井財閥形成の原動力とさせました。こうして団は、三池をバックに三井財閥の中で発言力を強め、1914年には三井合名会社理事長に就任、三井財閥の経営上の総責任者となりました。そして、工業技術に関する豊かな経験をいかし、鉱業以外にも、製鉄、造船、化学肥料、製紙などの分野にも事業を拡大させました。

また、財界の大合同をめざし、その意向を国家政策に反映させようと、1917年には、日本工業倶楽部を設立して初代理事長に就任したばかりか、1922年には井上準之助と日本経済連盟会(経団連の前身)を設立、翌年に理事長、1928年に会長となって、名実ともに日本経済界・財界のトップに立ちました。

しかし、世界的な大不況にともなって昭和金融恐慌がおきた時、三井がドルを買い占めたことが批判され、財閥に対する非難の矢面に立つことになった団は、東京・日本橋の三越本店入口付近で、右翼団体血盟団の男にピストルで撃たれ、暗殺されてしまいました(血盟団事件)。


「3月5日にあった主なできごと」

1929年 山本宣治の暗殺…大正・昭和初期の政治家で、山宣(やません)の愛称で親しまれていた山本宣治は、1928年に第1回普通選挙が行われた際、共産党系の労働農民党から立候補して当選しました。ところが、田中義一内閣は、全国千数百人もの労働農民党員を捕らえ、党の解散を命じたばかりでなく、共産主義者は死刑・無期刑にするという治安維持法の改正をくわだてました。宣治は敢然と反対を叫びましたが、この日改正案が衆議院を通過。この夜、宣治の宿泊先に右翼を名乗る男が押しかけ、宣治の胸を刺しました。

1953年 スターリン死去…ソ連の独裁者、共産党指導者、首相、大元帥となった スターリン が亡くなりました。

投稿日:2012年03月05日(月) 05:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)