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『大地』 のパール・バック

今日3月6日は、『大地』でノーベル文学賞を受賞し、基金を設立してボランティア活動に専心したアメリカの女流作家パール・バックが、1973年に亡くなった日です。

パール・バックの両親は熱心なクリスチャンで、父は中国の江蘇省にある教会の宣教師でした。1892年に一時帰国し、母はウェスト・バージニア州ヒルスボロでパールを生むと、生後3か月で一家は中国にもどりました。パールは幼い頃から、父の教会の豊富な蔵書の中からシェークスピアや19世紀の文学に親しみました。9歳で中国人の小学校に入学したため、英語と中国語のバイリンガルとなって成長します。

1910年、女権主義者だった母の考えでパールは、革新的な教育を行っていたランドルフ・マコン女子大学に入学しました。1913年に卒業すると中国にもどり、農業経済学者のジョン・バックと結婚、愛娘キャロルを生みました。しかし、重度の知的障害をもつ子になってしまい、9年間手元で大切に育てた後、ニュージャージー州の手厚い看護の受けられる施設に預けました。このことで、バックのめぐまれない子どもたちを支えたい気持ちは、人一倍めばえたのでしょう。晩年のボランティア活動の原点でもありました。やがて、南京大学などで英文学を講義するかたわら、中国に関する論文、小説を発表し始めました。

そして1931年、親・子・孫と3代にわたる農民一家の姿を、温かい理解と同情をよせて描いた長編小説『大地』を出版すると、爆発的なベストセラーとなって、世界30か国語以上に翻訳され、翌年ピューリッツァー賞を受賞したばかりか、1938年にはノーベル文学賞を受賞して、いちやく世界的な作家となったのです。

代表作『大地』は、『大地』『息子たち』『分裂した家』の3部からなる小説の総称です。

第1部『大地』……貧しい小作農の家に生まれたの王龍(ワンロン)が、地主の館から女奴隷を妻に貰い受け、本人の努力とよく働く妻のおかげでついに大地主になることができ、残された土地を決して手放してはならないと息子たちに託して死んでいくまでが描かれます。

第2部『息子たち』……王龍の3人の息子たちは、父が苦労して得た土地に執着はなく、父の死の床で土地を売り遺産の分配の相談をはじめ、それぞれの人生を歩んでいきます。特に3男の王三(ワンサン)は、家を飛びだし軍人になり、地方の軍閥のひとつにまでのし上がったのでした。

第3部『分裂した家』……祖父王龍の血をうけつだ王三の子・王淵(ワンユアン)の物語です。母国の土地への愛着をもった青年に育ち、アメリカに渡って西洋文化の洗礼をうけて帰国すると、中国では革命がおこり時代は大きく揺れ動き、革命の波に翻ろうされる人々の姿と、訪れる新時代への希望が描かれます。

1940年代に入ってもなお、人間を温かい目でみつめたパールの執筆活動は続きますが、その重点は少しずつボランティア活動へと移り、晩年は西洋と東洋との公平な交流をはたそうと「東西協会」を設立。アメリカ軍人とアジア人の混血児たちを養子・養女として引き取り、立派な国際人に育てるために「ウェルカム・ハウス」を開設し、常時30〜50人もの混血児たちを共同生活させました。そして、ノーベル賞で得た賞金や、原稿料や本の印税など、ほとんどのお金をそこにつぎこんだのです。

亡くなるまでにパールは、小説やノンフィクションの他に、児童書や絵本、翻訳など70点以上も執筆しましたが、7人の孤児を養子として自らの手で育てたり、広島における平和活動への支援をおこなったことでも知られています。


「3月6日にあった主なできごと」

1297年 永仁の徳政令…鎌倉幕府は、生活に苦しむ御家人を救うために、借金を帳消しにする「永仁の徳政令」を発布しました。そのため、武士に金を貸さなくなったため、御家人の暮しはさらに悪化、幕府の衰退につながりました。

1475年 ミケランジェロ誕生…レオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロと並び、ルネッサンスの3大巨匠のひとりといわれる彫刻家・画家・建築家・詩人として活躍した ミケランジェロ が生れました。

1948年 菊池寛死去…『屋上の狂人』『父帰る』『恩讐の彼方に』などを著した小説家・劇作家で、文藝春秋社をおこし、芥川賞・直木賞を創設した実業家 菊池寛 が亡くなりました。

投稿日:2012年03月06日(火) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)