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「管弦楽の魔術師」 ラベル

今日3月7日は、管弦楽曲『ボレロ』『亡き王女のためのパバーヌ』、バレエ曲『ダフニスとクロエ』などを作曲したフランスのラベルが、1875年に生まれた日です。

フランス南西部、スペイン国境に近いピレネー地方のシブールで生まれたモーリス・ラベルは、音楽好きの父の影響で、7歳でピアノをはじめ、12歳で和声学など作曲の基礎を学びました。ラベルが音楽の道へ進むこと願った両親は、14歳のとき「パリ音楽院」へ送り出しました。音楽院に在籍した14年の間に、フォーレやペサールらの指導を受け、多くの若く革新的な芸術家と競いながら『水のたわむれ』『シェエラザード』『亡き王女のためのパバーヌ』などを発表して、世に認められはじめました。

1907年、歌曲集『博物誌』を初演すると、ある評論家からドビュッシーの盗作として非難されました。しかし『スペイン狂詩曲』が高い評価を受けるとそんな批判はおさまり、ロシア・バレエ団に要請されて作曲したバレエ曲『ダフニスとクロエ』(1912年)を発表したころには、ドビュッシーと並び、近代フランス音楽の2本の大黒柱といわれるようになりました。

第一次世界大戦中は、志願兵として参戦し、砲弾の下をかいくぐって資材を輸送するような危険な体験をしました。大戦中の1917年に母の死を知ったラベルは、創作意欲が極度に衰え、大戦後はパリ郊外に住んで作曲活動をするものの、1920年の『ラ・バルス』以降は創作ペースは年1曲程度と極端に落ちてしまいました。1920年代のフランスでは、サティを中心とする「フランス6人組」の登場や、アメリカのジャズなど、新しい音楽の広まりによって、ラベルの苦悩の時代が長く続きました。

1928年、ラベルは初めてアメリカに渡り、4か月に及ぶ演奏旅行を行いました。ニューヨークでは満員の聴衆のスタンディングオベーションを受ける一方、黒人霊歌や本場のジャズに大きな感銘を受けました。この演奏旅行の成功により、ラベルの名声は世界じゅうに広まりました。

アメリカからの帰国後、ラベルはスペインの舞曲の名称をつけた管弦楽曲『ボレロ』を作曲しました。この作品は、ラベルのたくさんある曲のうちで、もっともポピュラーな曲といってよいでしょう。一つのリズム型と二つの主題をくりかえしただけでできていることと、最弱からだんだん強くなり、最強になるという珍しい特長をもっていて、一度聴いたら忘れられない印象を持つ人が少なくないようです。

ところがそれから3〜4年後、ラベルは脳神経系の異常に苦しみ、『左手のためのピアノ協奏曲』などわずかの曲を作曲しただけで、1937年に生涯を終えてしまいました。


「3月7日にあった主なできごと」

BC322年  アリストテレス死去…古代ギリシアの哲学者・学者・教育者・著述家として、さまざまな学問を集大成した アリストテレス が亡くなりました。

1608年 中江藤樹誕生…人を愛し敬う心を大切にし、母に孝養をつくして 「近江聖人」 とその徳望が慕われた江戸時代の儒学者 中江藤樹 が生まれました。

1778年 ハワイ島の発見…イギリスの探検家 クック がハワイ島を発見しました。翌年に上陸すると、原住民たちは神の化身として厚くもてなしたといわれています。なおハワイは、王国、共和国を経て、1898年にアメリカに合併されています。

投稿日:2012年03月07日(水) 05:39

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)