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『ひきがえるの冒険』 のグレアム

今日3月8日は、児童文学の名作として知られる『ひきがえるの冒険』(邦題「たのしい川辺」)を著わしたイギリスの作家グレアムが、1859年に生まれた日です。

スコットランドのエディンバラに生まれたケネス・グレアムは、5歳のときに母を亡くし、ほどなく父親は4人の子を捨てて家を出てしまいました。孤児になったグレアムは祖母に引き取られ、テムズ川に近い田舎で少年時代をすごしました。中学を最優秀の成績で卒業し、オックスフォード大学への入学を希望しましたが、学費をねん出できず、17歳でイングランド銀行に就職、その人柄の良さと実務能力が高く評価され、39歳でイングランド銀行の総務部長にまで出世しました。40歳で結婚、翌年アラステアが生まれました。しかし、夫人との性格があわず結婚生活は不幸なものでした。しかも、生まれた時から片目が見えないという障害を持って生れたアラステアはずっと健康の問題で苦しみ続け、20歳のときに鉄道自殺をしてしまいます。49歳のときに体調を崩して銀行を退職した晩年のグレアムは、その後はペンをとることはなく、1932年73歳の生涯を閉じたのでした。

20世紀前半のイギリス児童文学のうちでも不朽の名作といわれる『ひきがえるの冒険』は、ひょんなことから世に出た作品です。グレアムは、一人息子のアラステアのために、4歳のころから毎晩自作のお話を聞かせていました。アラステアが旅行に出たとき、せがまれて話の続きを手紙に書いて送っていました。たまたまその手紙を見て感銘した知人の女性が、グレアムに物語を本にして出版するようにすすめたのがきっかけでした。

この物語のおもしろさは、何といってもヒキガエルの天衣無縫な生き方でしょう。大きな屋敷に住む大金持ちのヒキガエルは、ほらふきで、めずらしもの好きで、あきっぽく、人が良くて、いつも何か新しものを追いかけては、テムズ川の岸辺に住むネズミやモグラ、アナグマたち住人の話題になっています。モグラが知り合ったときはボードに夢中になっていましたが、すぐに馬車に夢中になり、今は自動車に夢中です。ヒキガエルの乱暴な運転のために、家の庭は自動車のこわれたくずが山となったばかりか、何度も病院にかつぎこまれるしまつ。住人たちはヒキガエルに意見して、自動車の運転ができないように家に閉じこめてしまいました。ところが、窓から逃げ出したヒキガエルは、他人の自動車を運転して事故をおこし、監獄にぶちこまれてしまいます。ヒキガエルが、後悔の涙を流しているのを見た看守の娘は、同情して逃がしてくれたため、やっとのことで家にもどることができました。ところが、大きな屋敷は、森の住人のテンやイタチの軍団が占拠してしまっていたため、中に入れません。泣きさけぶヒキガエルに同情したアナグマら友人たちと、秘密の地下道を通って自分の屋敷にしのびこみ、大乱闘のすえについに敵を追い出し、もとの屋敷におさまることができました……。

この物語のもうひとつの魅力は、柳のあいだをふくそよ風、ごちそうの入ったバスケットを用意した楽しい川遊び、黄色く色づいた麦畑の中の散歩、そして川辺の住人たちのつつましくも豊かな生活ぶりでしょう。日常のささやかな喜び、炉ばたの語らい、心のこもった朝食、それが川辺で何時間も小さな動物を見てすごした幼き日のグレアムの夢だったのでしょう。今も新しい読者を増やし、以前読んだことがある人も、春の大掃除のころになると、必ずまた読みたくなるといわれるふしぎな本です。

なお、いずみ書房のホームページで公開している「オンラインブック」のうち「レディバード100点セット」62巻目『柳にそよぐ風』では、日本語抄訳を通して、ヒキガエルの冒険の詳しい内容にふれることができます。


「3月8日にあった主なできごと」

1917年 ロシア革命…1914年に第1次世界大戦が始まると、経済的な基盤の弱かったロシア帝国は、深刻な食糧危機に陥っていました。この日、首都ペトログラードで窮状に耐えかねた女性労働者たちのデモがストライキを敢行、兵士たちもこれを支持しました。事態を収拾できなくなったニコライ2世が退位して、ロシア帝国は崩壊。この「2月革命」により、新しく生まれた臨時政府と各地に設置されたソビエトが対立することになりました。こうして10月に、ソビエトが臨時政府を倒して政権を樹立し、世界で初めての社会主義国家が誕生します。

1935年 忠犬ハチ公死去…飼い主が亡くなった後も、渋谷駅で主人の帰りを待ち続けたという「忠犬ハチ公」が死亡しました。渋谷駅前にあるハチ公の銅像前は、待ち合わせ場所として有名です。

投稿日:2012年03月08日(木) 05:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)