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激しく咲き乱れた岡本かの子

今日3月1日は、大正・昭和初期の作家・歌人・仏教研究家として活躍した岡本かの子が、1889年に生まれた日です。かの子は、漫画家・岡本一平の妻で、「太陽の塔」などで著名な芸術家・岡本太郎の母としてもよく知られています。

東京・青山の旧家に生まれた岡本かの子(旧姓・大貫カノ)は、跡見女学校卒業後、2歳年上の兄や兄と親交のあった谷崎潤一郎の影響を受け、早くから文学にめざめました。17歳の頃、与謝野晶子を訪ね「新詩社」の同人となり、「明星」や「スバル」に新体詩や和歌を発表するようになりました。

19歳の夏、のちに漫画家となる 岡本一平 と知り合い結婚して京橋の岡本家に同居しました。ところが家人に受け入れられず、二人だけの居を構え、翌年、長男太郎を出産します。その後一平の放蕩や、芸術家同士の強い個性のぶつかりあいによる夫婦間の断絶、兄の死去などが重なって、かの子は絶望の淵に落とされました。

一平はかの子を慰めようと歌集『かろきねたみ』を刊行させますが、母親の死と実家の没落、一平の放蕩が再燃して家計も苦しくなりました。そんな中で長女を出産しますが神経を病み、精神科に入院してしまいます。翌年退院すると、一平は非を悔いて家庭を顧みるようになるものの、長女は亡くなってしまいました。一平を愛せなくなってしまったかの子は、彼女の崇拝者であった学生・堀切重夫と一平の了解のもとで「奇妙な夫婦生活」をおくり、次男を出産するも死去。やがて重夫は肺を病み、かの子の妹を愛するようになったため、かの子の怒りにふれて帰郷、まもなく死去します。さらにかの子は、青年医師や、のちに島根県知事となる学生と恋におち、一平に打ち明けて同居しています。(このあたりの暮らしぶりは、瀬戸内晴美[寂聴]著『かの子繚乱』に詳しく記されています)

かの子と一平は、危機をのりこえるために宗教に救いを求めました。親鸞の『歎異抄』によって生きる方向を暗示され、仏教に関するエッセイを発表するようになり、仏教研究家としても知られるようになりました。そして1929年、一家をあげてヨーロッパへ外遊。太郎は絵の勉強のためパリに残り、かの子と一平はロンドン、ベルリンなどに半年ずつ滞在後、1932年に帰国しました。

かの子が小説に専心したのは1939年に亡くなるまでのわずか3年間だけでした。1936年、芥川龍之介をモデルにした『鶴は病みき』で作家デビューを果たすと、パリに残した太郎への愛を描いた『母子叙情』、諸行無常の流転を描いた『生々流転』等など、超人的な勢いで次々と話題作を発表し、はげしい人生の幕を閉じたのでした。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、かの子の著書108点を読むことができます。


「3月1日にあった主なできごと」

1810年 ショパン誕生…ピアノの形式、メロディ、和声法など、これまでにない表現方法を切り開き「ピアノの詩人」といわれる作曲家 ショパン が生まれました。

1871年 郵便制度開始…これまでの飛脚制度にかわって、前島密を中心に欧米の制度にならった郵便制度をとりいれ、日本に郵便制度をスタートさせました。

1892年 芥川龍之介誕生…『蜘蛛の糸』『杜子春』などの童話や、『地獄変』『河童』『奉教人の死』など百数十篇もの名作をのこした作家 芥川龍之介 が生まれました。

1919年 3.1独立運動…1910年に日本の統治下となった朝鮮で独立運動がおきました。韓国ではこの日を「三一節」という記念日にしています。

1954年 第5福竜丸被爆…南太平洋にあるビキニ環礁で行なわれたアメリカ水爆実験で、危険水域外で漁をしていたにもかかわらず、日本のマグロ漁船第5福竜丸の乗組員23人全員が放射能を浴びる「ビキニ事件」がおきました。9月には無線長の久保山愛吉さんが亡くなったことで、原水爆禁止運動が高まりました。第5福竜丸の船体は、東京・江東区にある「夢の島公園」に展示公開されています。

投稿日:2012年03月01日(木) 05:57

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)