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現代漫画と岡本一平

今日6月11日は、大正から昭和の初期に活躍した漫画家 岡本一平が、1886年に生まれた日です。一平の妻は、歌人で小説家の岡本かの子、ふたりの長男が著名な画家・彫刻家の岡本太郎です。

1886年、北海道の函館に生まれた一平は、7歳の時に東京・京橋に移り住みました。祖父が漢学者、父は書家という血を受けた一平は、文学者をめざしましたが、父のすすめで日本画を習いました。しかし、洋画にひかれて東京美術学校西洋画科に進学、当時の洋画の第一人者黒田清輝や藤島武二らに学びました。

卒業後、美術学校の同級生を通じて知り合った歌人かの子と結婚し、京橋の岡本家に同居しました。しかし、まったく違う環境で育ち性格の異質な芸術家夫婦が共同生活をすることは、とても困難なことでした。なんとか愛情と理解を保ちながら精進しつづけ、1911年長男太郎が生まれました。

その翌年、一平はくらしをたてるために夏目漱石の推せんを受けて朝日新聞社に入社し、漫画をかきはじめました。そのころの漫画はポンチ絵といわれて、あまり評価の高いものではありませんでしたが、一平の描く洗練された画調と、絵に添えられた人間味あふれるユーモラスな文章は、人気を集め、「総理大臣の名は知らぬものはあっても、一平の名は知らないものはない」といわれるほどになりました。今日一般化した社会・政治風刺の漫画、戯画の先がけとなる功績を残したばかりでなく、こども漫画、家庭漫画、漫画小説、随筆などたくさんの作品をのこしました。

こうして、収入が増大するにつれて一平の放蕩がはじまり、夫婦の危機が訪れました。電灯も切られ家計はどん底に陥る中で、かの子は長女を出産しました。精神的におかしくなって、自殺を思うまでになりました。でも、幼い太郎を見るにつけ決行できず、病院の精神科に入院しました。

一平は妻を狂気に追いこんだ非を悔いあらため、家庭をかえりみるようになりました。しかし、かの子は自分を裏切った一平を愛することができず、早稲田の学生と恋に落ちました。一平は寛大さを見せ、不倫相手と同居させるも、内面では苦しさのあまり、家出をするなど家庭は崩壊寸前までいきました。やがて夫婦は、鎌倉建長寺に参禅するなど仏教の信仰に入りました。禅の影響は、一平の漫画にもかの子の和歌にもあらわれるようになりました。

1922年、一平は世界一周の旅をすることで作品に新しい魅力を加えるようになり、1930年から3年間は、かの子と太郎を連れて一家でヨーロッパ旅行をし、太郎をパリに残して帰国しました。

その後、かの子は仏教研究家となり、やがて小説をつぎつぎに発表して人気作家となりました。世間的な名声にあきてきた一平は第一線をしりぞき、かの子の盛り立て役に終始するようになりました。

1948年、かの子に先立たれた一平は波乱の人生を終えますが、漫画を芸術に高め、社会的にも広く支持者をあつめ、近藤日出造、杉浦幸雄、清水崑ら後継者を育てた功績は、高く評価されています。


「6月11日にあった主なできごと」

1899年 川端康成誕生…「伊豆の踊り子」 「雪国」 など、生の悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづった功績により、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家 川端康成 が生まれました。

1916年 ジーン・ウェブスター死去…手紙形式で書かれた名作『あしながおじさん』を著したアメリカの女流作家ジーン・ウェブスターが亡くなりました。(2009.6.11ブログ 参照)

投稿日:2010年06月11日(金) 09:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)