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『あしながおじさん』 のジーン・ウェブスター

今日6月11日は、手紙形式で書かれた名作『あしながおじさん』を著したアメリカの女流作家ジーン・ウェブスターが、1916年に亡くなった日です。

ジーン・ウェブスターの本名はアリス・ウェブスターで、1876年にニューヨーク州のエリー湖に近いフレドニアに生まれました。父親は、マーク・トウェイン の作品を刊行する出版社を経営していました。母親はトウェインのいとこにあたり、ユーモアに満ちた話じょうずで、日常の小さなできごとも、たちまち物語にしてしまう能力の持ち主でした。ジーンもその感化を受けて、幼いころから文章をつづるのが大好きでした。

やがて、ニューヨーク州のヴァッサー女子大学に入学、経済学を専攻しました。寮生活の時、アリスという学生と同室になり、両方がアリスで不便だったため、祖母がジーンだったことからその名にして、それが小説を書くときのペンネームになりました。学生時代に、小説を書くかたわら、経済学を学んだことで社会問題に関心が高まり、教護院や孤児院などを観察する機会が多く、施設に育つ恵まれない子どもたちとふれあうのが好きになりました。

大学卒業後は、社会事業の手伝いをしながら、小説を書き続けましたがいっこうに認められません。でも、持ち前の明るさと、強い意志で創作をつづけ、1912年36歳の時、孤児院でふれあった子どもたちとの体験をもとにした『あしながおじさん』を発表すると、たちまちベストセラーとなりました。1915年には、『続あしながおじさん』を出版。まもなく、弁護士と結婚して、翌年6月9日に女の子を出産しましたが、2日後にニューヨークの病院で死去、わずか39年のはかない生涯でした。

『あしながおじさん』のあらすじは、次の通りです。

みなし児のジルージャ・アボットは、孤児院で一番の年上でした。通常、この孤児院には16歳までしかいられませんでしたが、ジルージャは優秀だったために、18歳までいることができました。でも、まもなく女学校を卒業するため、孤児院を出なくてはなりません。

ある日、月に1回孤児院に寄付をしてくれる人たちの会議があった日、ジルージャは院長に呼ばれました。評議員のひとりが匿名で、毎月一回学業の様子を手紙で報告することを条件に、大学進学のための資金援助をしてくれることになったと知らされました。ジルージャがみこまれたのは孤児院の生活ぶりをシニカルに、そしてユーモラスに描いた作文のセンスでした。院長室へいく途中、ジルージャは、廊下に落ちたとても長い人影を見かけましたが、それが後ろ姿の評議員であることを知り、のちに「あしながおじさん」と呼ぶきっかけとなりました。

大学でのジルージャは、孤児院で与えられた名前を嫌がって自らをジュディと呼び、同級生のサリーやジュリアとともに、学生生活を楽しみました。初めて孤児院の外で生活をすることになったジュディは、うれしくてたまりません。見るもの、聞くもの、すべてがめずらしく、それを「あしながおじさん」へ知らせることに喜びを感じました。自分自身でお金を出して買い物をしたことや読んだ本のこと、出席したパーティのことなどを、生き生きと手紙で送り続けるのでした。

長期休暇時の農園滞在、ニューヨーク訪問、サリーの兄のジミーやジュリアの叔父のペンデルトンといった男性との交友、自らの小説の商業出版といった経験の後、ジュディは大学を優等で卒業しました。ジュディは、長期休暇期間に訪れていた農園で卒業後の生活を始め、作家をめざして小説を書き進めながら「あしながおじさん」への手紙だけは、やめることなく書き続けました。

やがて、ジュディはペンデルトンからプロポーズを受けました。でも、孤児院出身であるという経歴を打ち明けることができず、彼を愛していながらも拒絶してしまいました。煩悶したジュディは、自分の気持ちを手紙にして「あしながおじさん」に送ると、会って話を聞くという返事がきたのです。初めての対面に緊張しながらニューヨークに向かったのでした・・・。

*結末まで綴って公開したところ、「ヘンリーおじさん」から次のようなコメントをいただきました。

ストーリーを最後まで教えてしまうと 読んで最後どうなるのか。。。?の 楽しみが失われてしまいます。 どうか、終結のあたりを削除してください。 あとは、本を読んでのお楽しみに。。。。で、 終わっていいと思います。

もうひとつ、この本は、英語でも読んでいただく ことがお勧めです。 文章が分かりやすいし、魅力的な内容と なっております。(コメント参照)

というわけで、結末を削除しました。今回、数十年ぶりに再読しましたが、新たな感動がありました。これを機会に、翻訳でも、原書でもぜひ挑戦してみてください。


「6月11日にあった主なできごと」

1899年 川端康成誕生…「伊豆の踊り子」 「雪国」 など、生の悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづった功績により、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家・川端康成が生まれました。(2008年6月11日ブログ 参照)

投稿日:2009年06月11日(木) 09:12

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コメント (2)

ヘンリーおじさん:

エデイさん、
私が大好きなDaddy Long-Legs の著者の
ご紹介、感激でした!
彼女が通った大学、Vassar College は、
私の長男が行った大学でもあります。
ここから歯科医大学に進学したのです。

ひとつだけ、がっかりしたことがあります。
ストーリーを最後まで教えてしまうと
読んで最後どうなるのか。。。?の
楽しみが失われてしまいます。
どうか、終結のあたりを削除してください。
あとは、本を読んでのお楽しみに。。。。で、
終わっていいと思います。

もうひとつ、この本は、英語でも読んでいただく
ことがお勧めです。
文章が分かりやすいし、魅力的な内容と
なっております。
よろしくお願いいたします。

ヘンリーおじさん:

エデイさん、
早速、お話の終結を消していただいて、ありがとう
ございます。
私は、足長おじさん(Daddy Long-Legs) を始めて
16歳のときに読みました。
たまたま英語の本があり、短いので、すぐに読んで
しまいました。
感激でしたね。
そのときに、主人公のアメリカ女性に好意を描いたのを覚えています。こういう女性ならいいな〜と、
思ったのです。

だいぶ経ってから30歳のときに、二度目に読んで
みる機会がありました。今度は、16歳のときとは
違う感覚でストーリーの内容に引かれる自分を
発見しました。
三回目は、そろそろでしょうかね。
エデイさんも、読み返されたそうですが、こういう
若い女性のスポンサーになって大学に行かせて
上げたい(足長おじさんになる)なんて感じたのでしょうか。

日本では、足長おじさん運動といえば、盲導犬の
支援団体です。足長おじさんの猛烈なファンの
一人として、いつも100円を募金箱に入れることに
しております。皆さんも、ぜひご協力くださいね!

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)