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ノーベル賞作家・川端康成

今日6月11日は、「伊豆の踊り子」 「雪国」 など、生の悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづり、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家 川端康成が、1899年に生まれた日です。

川端康成は、1899年(明治32年)6月14日、大阪市に生まれました。父は医師でしたが、康成が2歳のときに亡くなり、つづいて母も3歳のときに死に、幼くして孤児となりました。それからは祖父とふたりだけの生活でしたが、その祖父も、康成が15歳のとき、亡くなりました。人の世のむなしさ、はかなさは、するどい感受性をもった少年の心に、深くしみとおりました。

第一高等学校、東京帝国大学(東京大学)へと進み、国文科に学んだ康成は、作家をこころざします。22歳のとき 『招魂祭一景』 を書き、菊池寛に認められ、新進作家としての第一歩をふみ出しました。

新しい感覚にあふれた初期の作品のうちでも、とくに人びとに親しまれているのは『伊豆の踊子』です。

「20歳の私は自分の性質が孤児根性でゆがんでいるときびしい反省を重ね、その息苦しいゆううつにたえきれないんで……」

伊豆の旅に出てきた高校生は、天城峠で旅芸人の一行と会います。そのなかのかれんな踊り子とのあわい心の交流。

「いい人ね」 「それはそう、いい人らしい」 「ほんとにいい人ね。いい人はいい人ね」

そう踊り子たちに言われるだけで、高校生の心は青い空に解き放たれるようなうれしさを感ずるのでした。でも、ふたりは下田の港に来たところで別れねばなりません。短編ですが、この小説は人びとに愛されて、くりかえし映画化もされています。

康成の名作といわれるものには 『浅草紅団』 『雪国』 『千羽鶴』 『古都』 『山の音』 など数おおくの作品があります。とくにはなばなしい物語があるわけではありませんが、日本人の細やかな感情、あふれる心の動きを、つめたくすんだ眼でみつめて、静かな美しい世界に人びとを引きこみます。

1968年、ノーベル文学賞が康成に贈られました。文学賞は、日本人としては初めて、アジア人としては2番めの受賞です。『雪国』 や 『古都』 は、英語やフランス語にほん訳され、ヨーロッパでも評判をよびました。ストックホルムの授賞式に羽織はかまで出席した康成がおこなった講演の題は 「美しい日本の私」 です。古い昔から受けつがれてきた日本の美について、語ったのでした。

1972年4月16日、康成は、神奈川県逗子市の仕事部屋でガス自殺をとげて、人びとをおどろかせました。遺書もなく、その直接の原因については知ることはできませんでした。栄光のなかにあっても、孤独とむなしさを感じつづけていたのでしょうか。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 36巻「宮沢賢治・湯川秀樹」 の後半に収録されている14名の 「小伝」 から引用しました。近日中に、300余名の 「小伝」 を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年06月11日(水) 09:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)