児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  江戸時代後期の教育者・緒方洪庵

江戸時代後期の教育者・緒方洪庵

今日6月10日は、大阪に適塾を開き、福沢諭吉や大村益次郎らを育てた蘭医・教育者として大きな功績を残した緒方洪庵(おがた こうあん) が、1863年に亡くなった日です。

緒方洪庵は、日本の西洋医学の基礎を築いたばかりでなく、橋本佐内、大村益次郎、大鳥圭介、佐野常民、福沢諭吉ら、近代日本の夜明けに偉大な足跡を残した人たちを育てた、大きな功績があります。洪庵が、松下村塾をひらいた吉田松陰とならび称されるのはそのためです。

洪庵は、1810年、備中国(岡山県)足守藩という小さな藩の武士の家に生まれました。15歳のとき、父が藩の用事で大坂(大阪) におもむいたとき、いっしょに旅をして、洪庵だけそのまま大坂にとどまりました。小さいころからからだが弱く、武芸の道にすすむより医者になることが、自分を生かす道だと考えたからです。そして、蘭方医として評判の高かった中環(なか たまき) に弟子入りしました。

勉強家の洪庵は、環のところにいた4年間に蘭学のほん訳書をほとんど読みつくしました。まだほん訳されていないオランダ語の原書がたくさんあることを知った洪庵は、20歳のとき、環のすすめもあって江戸へ出て、蘭学医の大家である坪井信道や宇田川榛斎(うだがわ しんさい) の教えを受けました。その間数さつのほん訳書を著わすまでになりましたが、それでもまだ満足できない洪庵は、さらに長崎へ行き、ニーマンというオランダ医について、医学や語学の教えを受けました。

28歳になって大坂に戻った洪庵は、開業医となりました。そして、日本ではじめて種とうをおこなったり、コレラの対策に力をそそいだり、日本最初の病理学書 『病学通論』 や、たくさんのほん訳書を著わすなど西洋医学の普及につくしました。

また、医者としてのかたわら、蘭学を学ぶ学校、適塾(適々斎塾) もひらきました。塾の名は、「他人の干しょうを受けないで、自分の適とすることを適とする」 という意味をもっており、はっきりと自分を主張することを大切にしました。適塾の自由な学風と、洪庵のすぐれた学者としての名声をしたって、全国からたくさんの弟子たちが集まりました。その数はおよそ25年間に3000人におよんだといわれています。

こうして洪庵の誠実な仕事ぶりがみとめられるにつれ、将軍の侍医に推せんしようという運動がおこりました。洪庵はなんども辞退しましたが、ついにことわりきれず、1862年に江戸にのぼりました。将軍の侍医として仕えるかたわら、医学所頭取として西洋医学を教えました。しかし、上京したよく年6月、大坂にのこしてきた家族をなつかしみながら、52歳で亡くなりました。
 
なおこの文は、いずみ書房 「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 30巻「渡辺崋山・勝海舟・西郷隆盛」 の後半に収録されている7名の 「小伝」 から引用しました。近日中に、300余名の 「小伝」 を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年06月10日(火) 09:07

 <  前の記事 ヒューマニズム作家・ディケンズ  |  トップページ  |  次の記事 ノーベル賞作家・川端康成  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/1338

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)