児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  『セビリアの理髪師』 のロッシーニ

『セビリアの理髪師』 のロッシーニ

今日2月29日は、『セビリアの理髪師』や『ウィリアム・テル』などのオペラ作曲家として知られているイタリアのロッシーニが、1792年に生まれた日です。

イタリアのアドリア海に面したペーザロに生まれたジョアキーノ・ロッシーニは、幼いころから音楽の才能を発揮して、少年の頃には教会の合唱やチェンバロの演奏で収入を得るほどでした。14歳のとき、ボローニャ市立音楽院で4年間チェロと作曲を学ぶかたわら、多くの劇場で歌手として働きながら卒業すると、オペラ作曲家として活動を始めました。10代後半から21歳にかけて、『タンクレーディ』『アルジェのイタリア女』を発表してオペラ作曲家としての評判を確立し、1816年『セビリアの理髪師』でヨーロッパじゅうにその名声をとどろかせました。

イタリアのオペラは、主人公の死で終わる悲劇がほとんどの「オペラ・セリア」と、軽い喜劇的オペラ「オペラ・ブッファ」の二つに分かれています。「オペラ・ブッファ」は大団円で幕となるため、音楽もにぎやかなアンサンブルで閉じるのが特徴です。今もオペラ劇場でドル箱的存在となっている『セビリアの理髪師』はこの「オペラ・ブッファ」の代表的な作品といわれ、つぎのようなストーリーです。

舞台は18世紀スペインの町セビリア(セビージャ)。伯爵のアルマビーバは、町でみかけたロジーナという美しい娘に恋心をいだき、何とか結婚したいものと近づきますが、これまたロジーナと結婚したがっている財産管理人で後見人のバルトロがロジーナの近くにいるため、なかなか会うことができません。そこで昔なじみの理髪師フィガロの知恵を借りて、士官になったり歌の教師に変装したりして、ドタバタをくりかえしながらもロジーナと会うことに成功します。大騒動の末、フィガロの機転でアルマビーラとロジーナは結ばれ、バルトロは財産をもらうことに話がまとまって……。

数多くの作曲家の中でも、ロッシーニほど自由自在な生き方をした人はいないといわれています。音楽家として成功するにはオペラに限ると、そのテクニックを身につけるためにモーツァルトの作品を徹底的に分析して優れている部分を頭にたたきこみ、遅筆はだめだと、この『セビリアの理髪師』は2週間足らずで書きあげたのをはじめ、37歳の時に『ウィリアム・テル』を発表するまでに、約40作ものオペラを書きまくりました。これで充分だとばかり音楽活動をやめて年金生活をしながら、好きな食道楽に没頭する後半生を送って、1868年に亡くなっています。

なお、今ではほとんどが埋もれてしまったロッシーニのオペラのうち、『ウィリアム・テル』は、ドイツの詩人シラーの原作によるスイスの独立運動の英雄ウィリアム・テルが主人公で、テルをはじめ、スイスの義民たちが悪代官ゲスラー一味を滅ぼすまでの痛快なストーリーです。テルがわが子の頭の上にのせたリンゴを弓で見事に射落とす話はよく知られています。このオペラが上演されることはほとんどなくなりましたが、「序曲」は、今も単独で演奏されることが多い名曲です。


「2月29日にあった主なできごと」

1582年 グレゴリオ暦のはじまり…古代エジプトの時代から使われてきた太陽暦は1年が365日でした。そのため、少しずつ季節にずれが生じてきたため、古代ローマの皇帝ユリウス・シーザー は、紀元前46年を445日とさせ、その後は4年に1度、366日にすることにしました。これが、シーザーの名をとった「ユリウス暦」で、今年2月29日があるのは、4年に一度ある閏年(うるうどし)にあたるためです。
ところが、年がたつにつれて、まだ日付と季節がずれてしまいます。正確な1年は365.2422日であることがわかったためで、法王グレゴリウス13世は、1582年を10日間減らして355日とし、その後は各世紀の終わりの年は400で割れる年を除いて、閏年にしないことに決めました。つまり、1700年、1800年、1900年は閏年でなく、2000年は閏年となります。現在ほとんどの国で使われているこの暦は、グレゴリウスの名にちなんで、「グレゴリオ暦」とよばれています。

投稿日:2012年02月29日(水) 05:51

 <  前の記事 日本画の革新児・今村紫紅  |  トップページ  |  次の記事 激しく咲き乱れた岡本かの子  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2666

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)