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千早振る

「おもしろ古典落語」の60回目は、『千早振(ちはやふ)る』というお笑いの一席をお楽しみください。

百人の歌人の有名な歌を一首ずつ集めたものを「百人一首」といいます。その中でも有名なのが藤原定家という人が選んだといわれる『小倉百人一首』です。この中に在原業平の「千早ふる神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは」という人気のある歌があり、(古代の神さまの時代にも、これほど美しい景色はなかったことだろう、竜田川が紅葉でくくり染めのように鮮やかに朱にそまっている)といったような意味です。長屋の八っつぁん、学校へ通っている娘からその意味を聞かれ、床屋から帰ったら教えてやるとごまかして、そのまま、知ったかぶりの隠居のところにかけこみました。

隠居もわからないのでいい加減にごまかそうとしましたが、八っつぁんは引きさがりません。「なぁ八っつぁん、この竜田川ってのはおまえ、なんだと思う?」「わからねぇから聞いてるんじゃありませんか」「つまり、隅田川とか神田川というように、川の名だと思うだろう?」「川じゃないんですかい?」「そこが素人のあさましさだ。この竜田川ってぇのは、なにを隠そう相撲取りの名だ」「へぇ、お相撲さんですか、でも聞いたことないな」「そりゃそうだ、江戸時代に活躍した力士で、田舎から出てきて大関にまでなったという、たいへんな努力家だ」「へぇ、強かったんですね」「はじめから強かったわけじゃない。どうにかして出世したいと、神信心をして、3年のあいだ酒も女もたばこもやらず、一心不乱にけいこをしたから、安心しなさい」「別に心配なんぞしてない…、でも大関になったんならてぇしたもんだ」

「その竜田川が、ひいきに連れられて吉原に夜桜見物に出かけた。その時、ちょうど全盛の千早太夫というおいらんに出くわした。竜田川は、千早の美しさに一目ぼれした。ひと晩でもいいから酒の相手をしてもらいたいと申しこんだところ『わちきはいやでありんす』とあっさり振られてしまった。しかたがないので、妹格の神代太夫に口をかけたところ、これまた『姉さんがいやな人は、わちきもいや』とまた振られてしまった」「かわいそうに、それで竜田川はどうなったんですか」「つくづく相撲取りがいやになった竜田川、そのまま廃業すると、故郷に帰って豆腐屋になってしまった」

「いきなり豆腐屋ですか。なんで?」「なんだっていいじゃないか。当人が好きでなるんだから。親の家が豆腐屋だったんだ。両親にこれまで家を空けた不幸をわび、一心に家業にはげんで十年後のことだ。竜田川が店で豆をひき終えて一服していると、ボロをまとった女が一人『おとといから何も口にしていません。どうか卯の花(おから)をめぐんでください』という。気の毒に思ってその顔を見ると、なんとこれが千早太夫のなれの果て。思わずカッとなり『大関にまでなった相撲をやめて、草深い田舎で豆腐屋をしているのは、もとはといえばおまえが原因』おからはやれないといって、ドーンと突くと千早は吹っ飛び、弾みで井戸にはまってブクブクブク…。

いいか、よーく聞けよ。千早に振られたから『千早ふる』、神代もいうことを聞かないから『神代も聞かず竜田川』、おからをやらなかったから『からくれないに』」「じゃ、水くぐるってえのは?」「井戸へ落っこってもぐれば、水をくぐるじゃねぇか」「じゃ最後の『とは』ってぇのは?」

「おまえもしつこいね…そいつはな…あとで調べたら、千早の本名だった」


「2月24日にあった主なできごと」

1815年 フルトン死去…1807年、ハドソン川で蒸気船の試運転に成功したアメリカの技術者で発明家のフルトンが亡くなりました。、

1873年 キリスト教禁制撤廃…1612年以来禁止されてきたキリスト教を、明治政府も国禁にしてきましたが、この日「キリスト教国禁」の高札を撤去。欧米諸国の非難や、条約改正を妨げる一因をなしていることを知った政府は、キリスト教を黙認する決断をしました。

1933年 国際連盟総会で抗議の退場…日本の国際連盟代表の松岡洋佑ら代表団は、スイスのジュネーブで開かれた臨時総会で、議場からいっせいに退場しました。前年に日本が中国東北部に建設した「満州国」を国際連盟が認めず、軍を引き上げるよう求める勧告案を、賛成42、反対1、棄権1で採決したことに抗議したものです。この総会の後日本は、3月27日、正式に国際連盟を脱退、国際社会の中で孤立する道を歩みはじめました。

投稿日:2012年02月24日(金) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)