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『出家とその弟子』 の倉田百三

今日2月23日は、大正、昭和前期に活躍した劇作家・評論家の倉田百三(くらた ひゃくぞう)が、1891年に生まれた日です。

1891年、広島県庄原市の呉服商の家に生まれた倉田は、第一高等学校(現・東大教養学部)へ入学し、猛勉強をしてトップの成績をおさめるものの肺結核にかかり、中退せざるをえませんでした。宗教に対する強い関心から、無一物・路頭を原点として懺悔の奉仕をするという西田天香のつくった「一燈園」に入り、療養生活をしながらも、病床で執筆活動を続けました。そして、1916年26歳のとき、浄土真宗の開祖 親鸞 とその弟子唯円(『歎異抄』の著者として有名)を中心に、信仰の苦悩と許しを描いた戯曲『出家とその弟子』を出版、たちまちベストセラーになって「親鸞ブーム」をひきおこしました。その後、武者小路実篤が主唱した「新しき村」とも関わり、雑誌『白樺』に作品を発表、1921年に出版した生命力みなぎる評論集『愛と認識との出発』は、当時の若者に圧倒的な人気を博しました。他に『俊寛』『歌わぬひと』などの戯曲、『絶対的生活』などの評論を遺し、1943年に亡くなりました。

代表作『出家とその弟子』は、次のような6幕からなる戯曲です。その反響は海外にもおよび、英訳を読んだ ロマン・ロラン は「現代世界の宗教作品のなかでも、最も純真なもの」と激賞しています。

第1幕「日野左衛門の屋敷」(地主である左衛門の妻が、息子・松若の正月の晴れ着をぬっているところへ松若が帰宅。小作の子にいじめられたと嘆き、横暴な父への仕返しであることがわかって母は胸を痛めます。夕方、托鉢行脚中の二人の弟子をつれた親鸞は、強引に小作から集金してもどった左衛門に一夜の宿を請いますが、左衛門はかたくなに拒否、やむなく戸外で石を枕に眠りました。夜中に左衛門は恐ろしく不気味な夢にうなされて目覚めると、ひどい仕打ちを恥じて、親鸞一行を家に招き入れます)

第2幕「西の洞院御坊」(15年後、左衛門の息子松若は、唯円と名を改め、親鸞の弟子になっています。唯円が親鸞に、恋とはどんなものかをたずねます。「苦しいものだ」「恋は罪の一つでしょうか」「この世で罪をつくらずに恋をすることはできない。しかし、だれも一生に一度は恋をするものだ。人間の一生の旅の途中にある関所のようなもの。まじめにこの関所にぶつかれば、人間は運命を知る。愛を知る。すべての智恵の芽が一時に目ざめる…」と。)

第3幕「三条木屋町・松の家の一室」(親鸞の息子・善鸞は、父への反抗から身を崩し、墨染の衣のまま遊郭「松の家」に入りびたっています。唯円は親鸞父子の和解を願って善鸞を慰め、さらに親鸞にあい、善鸞を許してくれるように懇願します)

第4幕「黒谷墓地」(善鸞に会いに遊郭へ行くうち唯円は、遊女・かえでと出会い、恋に落ちてしまいます。1年後の春の午後、二人は墓地で忍び合いをしています)

第5幕「親鸞上人居間」(遊女を相手にするなど僧として浅ましいと、弟子たちが唯円を非難していることを耳にした親鸞は、縁あれば二人を結びつけたいものだと語ります…)

第6幕「親鸞上人病室・15年後の秋」(かえでは、唯円と結婚して入信し、二人の娘をもうけました。親鸞の臨終が近づき、唯円、かえでら弟子たちが周りをかこんでいるところへ、善鸞があらわれます…)

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、倉田の代表作『出家とその弟子』『愛と認識との出発』をはじめ、16点を読むことが出来ます。


「2月23日にあった主なできごと」

1685年 ヘンデル誕生…ドイツ生まれでイギリスに帰化し、バッハと並びバロック音楽の完成者といわれる作曲家 ヘンデル が生まれました。

1784年 漢委奴国王の金印…福岡県の小島・志賀島の農民が、田んぼの用水路で金印を発見し、黒田藩の殿様に差し出しました。そこには「漢委奴国王」と彫ってありました。金印は、1954年から「国宝」に指定されています。

1836年 アラモの戦い…アラモの砦に立てこもるデイビィ・クロケットら182人のアメリカ・フロンティア義勇軍に対し、3000人ものメキシコ正規軍が攻撃を開始し、義勇軍は13日後に全滅。ただし、メキシコ軍も大打撃を蒙り、この地にテキサス共和国ができることになりました。1845年、テキサスはアメリカ合衆国と合併し、テキサス州となりました。

投稿日:2012年02月23日(木) 05:47

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)