今日2月27日は、ロシア国民主義の新音楽運動の発展に力をそそいだ作曲家集団「ロシア五人組」のひとりで化学者のボロディンが、1887年に亡くなった日です。
1833年、グルジア系貴族の私生児としてペテルブルクに生まれたアレクサンドル・ボロディンは、幼いころからピアノやフルート、チェロなどに親しみ、13歳のときには協奏曲を作曲するほどでした。陸軍医科大学に進んで化学を専攻し1856年に卒業しました。その後、陸軍病院に勤務したり、母校の助教授、教授となるいっぽう、女子医学専門学校の創設など、幅広い分野で活動した有機化学者でした。
音楽はいわば趣味でしたが、大学時代は友人たちと室内楽団を作ったり、陸軍病院時代は、ムソルグスキーやバラキレフと知り合って刺激を受け、少しずつ作曲を手がけるようになりました。やがて、キュイ・バラキレフ・ムソルグスキー・リムスキー=コルサコフと作曲家集団「ロシア五人組」を結成して、本格的な作曲をはじめるようになります。
1869年、バラキレフの指揮によって『交響曲第1番』が上演されて好評を博し、『交響曲第2番』に着手しました。1877年に完成したこの新作交響曲は、全体にあふれる力強い気迫と、情熱あふれる大スケールが評価され、ボロディンの名を世界に広めました。
1880年、代表作となる『中央アジアの草原にて』を発表。この曲の楽譜の冒頭には、次のような意味の言葉が添えられています。「見渡す限りはてしない中央アジアの野原は静まりかえり、聞こえてくるのはロシアの歌声。次第に近づく馬やラクダの群れの足音にまじって、耳なれない東洋ふうのメロディが聞こえてくる。ロシアの兵士に護衛された隊商たちがやってくる。そして、護られている安心感を足取りに見せて進み、しだいに遠ざかっていく。ロシアの歌とアジア風のメロディがとけあって、草原をわたる風になごりを止めながら…」──。まさにこの交響詩は、一度聴いたら忘れられないほど、印象的な交響曲による絵画ともいえる小品です。
さらに、歌劇『イーゴリ公』にとりかかり18年の歳月をかけたものの未完に終わりました。没後にリムスキー=コルサコフとグラズノフの手で改訂されて完成しましたが、この中の『だったん人の踊り』は、今も人気が高く、ボロディンの作品として単独で演奏されることがよくあります。
「2月27日にあった主なできごと」
1876年 江華条約の締結…鎖国をつづける朝鮮に国交を求めていた明治政府は、前年に日本の軍艦が朝鮮の江華島付近で砲撃を受けたのに対し、猛反撃を加えました(江華島事件)。この日更なる圧力をかけて江華条約を締結させ、念願の朝鮮開国を実現させました。この条約は釜山・江華港を貿易港として開港、朝鮮海航行の自由、江華島事件の謝罪など、日本優位の不平等条約で、日本の朝鮮侵略の第1歩となりました。
1933年 ドイツ国会議事堂炎上…この日の夜突然、首都ベルリンの国会議事堂が燃え上がり、ヒトラー はこれを共産党員のしわざだとして、共産党員をすべて逮捕し、間近にせまった選挙に出られなくさせました。このため、ナチス党は選挙を有利に進め、独裁のあしがかりとしました。
1936年 パブロフ死去…消化腺と条件反射の研究でノーベル賞を受賞したロシアの科学者 パブロフ が亡くなりました。