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転失気

「おもしろ古典落語」の59回目は、『転失気(てんしき)』というお笑いの一席をお楽しみください。

ある寺の住職、ぐあいが悪いので、お医者さんがまいりました。「ちとこれは、お腹が張っておりますな。いかがですかな、『転失気(てんしき)』はありますか?」とききましたが、この住職は知ったかぶりで負けずぎらいなため、わからないということがいえません。「はい、『てんしき』ですね、ないこともございません」「はぁ…、とにかく薬をとりに小僧さんを寄こしてください。たいしたこともないから、心配にはおよびません」

医者が帰ると、小僧の珍念を呼びました。「『てんしき』というものを知っているか? 知らないではいかん。もうおまえも13ではないか、そんなことではいかん」「あの…和尚さん、『てんしき』っていうのは何ですか?」「わしが教えては気にゆるみがあってはいかん。前の花屋へでも行って、『てんしき』というのを見せてもらってから、その足でお医者さまのところへ行って薬をもらってきなさい」と、いいつけます。

花屋も何だかわかりませんが、これも同じような負けずぎらいときています。「いやーっ、惜しいことをしたな、この前ねずみが棚から落としてこわしてしまった」と、ごまかしました。

「どうもよくわからないなぁ。そうだ、聞くは『一時の恥、聞かぬは末代の恥』っていうから、お医者さまに聞いてみよう……先生、お薬をいただきにまいりました」「おや、だれかと思ったら珍念さん、ご苦労さま、薬は用意してありますよ」「先生ひとつ、聞いてもいいですか」「いいとも、知らないことを聞くのは大切なことだ、遠慮なく聞きなさい」「わたくしは、『てんしき』というものを知りません、どんなものなのでしょう」「おならのことじゃ」「おならって、あの、お尻から出る?」「そうじゃ」「おならが『てんしき』? へぇー」「ひどく感心しているな、まぁ、お聞き。『傷寒論』という本の中に「気を転(まろ)め失う」と書いてある。それで転失気というわけだ」これで、和尚も花屋も知らないでごまかしたことがばれましたが、和尚に正直にいっても逆に説教を食いそうなので、珍念はうそをつくことにしました。

「どうした、聞いてきたか?」「へえ、『てんしき』とは盃(さかずき)のことだそうで」「盃? うーん、そうだとも。忘れるなよ。テンは呑む、シュは酒で、キは器(うつわ)。これで呑酒器(てんしゅき)という」と、てれ隠しに、こじつけました。

翌日、医者がやってきました。「ぐあいはいかがかな?」「はい、すっかりよくなりました。ところで先生、先日『てんしき』はあるかとたずねられましたが、ありました。で、ひとつお見せしようかと」「えっ、見せられても…」「珍念、3つ組の『てんしゅき』を持ってきなさい」「はい、ただいま! くくくっ、3つならブーブーブーだ」とニタニタ。立派な桐の箱に入った盃を差し出され、医者はびっくりしました。「これはまた、たいそうな…、箱をあけると匂うでしょうな」「いえ、匂いはいたしません」「では拝見、おや、これは見事な盃ですな…これはどうしたことで」「愚僧がたいせつにしております、呑酒器で…」「愚老の方では放屁のことを『てんしき』と申しますが、寺では、盃のことが『てんしき』ですか? つかぬことをお聞きしますが、いつの頃から?」

「はい、奈良(なら)のころからそういいます」


「2月17日にあった主なできごと」

1856年 ハイネ死去…『歌の本』などの抒情詩をはじめ、多くの旅行体験をもとにした紀行、批評精神に裏づけされた風刺詩や時事詩を発表したドイツの文学者 ハイネ が亡くなりました。

1872年 島崎藤村誕生…処女詩集『若菜集』や『落梅集』で近代詩に新しい道を開き、のちに「破戒」や「夜明け前」などを著した作家 島崎藤村 が生まれました。

1925年 ツタンカーメン発掘…イギリスの考古学者カーターはこの日、3000年も昔の古代エジプトのファラオ・ツタンカーメンの、235kgもの黄金の棺に眠るミイラを発見しました。

1946年 金融緊急措置令…第2次世界大戦後の急激なインフレを抑えるため、金融緊急措置令を施行。これにより、銀行預金は封鎖され、従来の紙幣(旧円)は強制的に銀行へ預金させる一方、旧円の市場流通を停止、新紙幣(新円)との交換を月に世帯主300円、家族一人月100円以内に制限させるなどの金融制限策を実施しました。しかし、この効果は一時的で、1950年ころの物価は戦前の200倍にも達したといわれています。

投稿日:2012年02月17日(金) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)