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「沖縄学の父」 伊波普猷

今日2月20日は、大正・昭和前期の歴史家・民俗学者で、沖縄研究に生涯をささげた伊波普猷(いは ふゆう)が、1876年に生まれた日です。

沖縄県那覇市の地元名士の家に生まれた伊波は、幼少のころから漢学塾に通った後、師範学校付属の小・中学校に学びました。ところが中学5年のとき、校長が英語科廃止の方針や生徒に信望のあつかった教師を辞職させる命令をくだしたことへ反発、ストライキ事件をおこして退学させられました。

1896年に上京、4年間の浪人生活後、第三高校(現・京都大教養学部)をへて東京帝国大学に入り、金田一京助らとともに言語学を学びました。上田万年や新村出らの教えを受けるうち、「沖縄とは何か」を問い続け、その歴史や言語の研究をするようになりました。特に12世紀から琉球に伝わる「おもろ」という歌謡の研究が、古代研究のカギを握ると直感し、帰省のたびに古老を訪ね、古跡を調査して歩きました。

1906年、卒業後に帰郷したときの伊波は、もう「おもろ」研究家として地元では有名になっていました。しかし江戸時代のはじめころから薩摩藩(鹿児島)の島津家に支配され続け、奴隷根性のしみついた沖縄島民の姿を見るにつけ、民族の自信をとりもどさせる行動を決意しました。『琉球人の祖先について』を著わし、島津家の圧政や役人・商人を厳しく告発する講演をあちこちで行ったため、伊波はたちまち、危険人物として煙たがれる存在になってしまいました。

1909年に沖縄県立図書館の館長となったものの名ばかりで、15年間にわたり、自力で5000点もの琉球史史料の収集に尽力しました。その領域は広大で、言語学、民俗学、文化人類学、歴史学、宗教学など多岐にわたり、その学問体系の成果によって、後に「沖縄学の父」と称されるようになりました。

いっぽう、新しい思想の書物を買入れては、県民に読書の大切さ説き、図書館を文化センターとして広く解放しました。また自宅に子どもたちを集めて指導したり、青年や知識人にはクラブを作ってエスペラント語、聖書などをともに学んだり、女性たちに自由意思を重んじて行動するように呼びかける啓蒙活動をくりひろげました。

1925年、館長を辞任して再び上京した伊波は、民俗学者の柳田国男、折口信夫、金田一京助、経済学者の河上肇らと交遊しながら、沖縄の言語、歴史、民俗、宗教など広い分野の著書を遺し、1947年、太平洋戦争後期の沖縄戦によって焼け野原となった郷里へ思いをはせながら亡くなりました。

伊波の最も大きな業績で、沖縄・奄美諸島に古くから伝わる1200種以上もの歌謡をまとめた『おもろそうし』(22巻)は、沖縄古代の歴史や文化を提供しているとして、1973年に国の重要文化財に指定されています。


「2月20日にあった主なできごと」

1607年 歌舞伎踊り…出雲の阿国 が江戸で歌舞伎踊りを披露、諸大名や庶民から大喝采をあびました。

1886年 石川啄木誕生…たくさんの短歌や詩、評論を残し、「永遠の青年詩人」といわれる 石川啄木 が生れました。

1928年 初の普通選挙…これまでの選挙権は、国税3円以上をおさめる成人男性に限定されていましたが、大正デモクラシーの勃興や護憲運動によって、納税額による制限選挙は撤廃され、25歳以上の成年男性による普通選挙が実現しました。

1933年 小林多喜二死去…『蟹工船』などを著わし、日本プロレタリア文学の代表作家といわれる小林多喜二が、拷問によって殺されました。

投稿日:2012年02月20日(月) 05:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)