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寝床

「おもしろ古典落語」の58回目は、『寝床(ねどこ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

江戸時代に名人といわれた蜀山人(しょくさんじん)の狂歌に「まだ青い しろうと浄瑠璃 玄人(くろ)がって 赤い顔して 黄な声を出す」なんていうのがあります。浄瑠璃の親戚のような、物語を歌にした義太夫(ぎだいゆう)というのが明治・大正のころに流行しました。ある商家のだんなも、下手な義太夫にこっていて、なんとか人に聞かせたがります。

「定吉、繁蔵は帰ったかい? まだか、帰ったらすぐにここによこしなさい。今夜はわたしの義太夫を聞きにたくさんお見えになるから、座ぶとんを50枚ほど出して、舞台の前にずっと敷きなさい。お湯の用意もな。酒のかんもするし、お酒の飲めない方にはお茶も出すし、わたしも体をふくから。義太夫をうんと語るとたいそう汗をかくのだよ。料理番は? 3人きてる、そろそろ料理にかかってもらっとくれ…お客さんと家の者も食べますから70人前用意するように。えっ、繁蔵が帰った? ああ、ご苦労、ごくろう」「へぇ、長屋をすっかり回ってきました」「ちょうちん屋へは行ってくれただろうね。こないだ会ったら『なぜ、この前の義太夫のときに知らせてくれなかった』なんて、いやみをいわれてな、定吉が忘れたんだ。喜んだだろ」「お喜びではございましたが、どこかの開店があるとかで、ちょうちんを三百五十も今晩じゅうにこしらえなくちゃいけないので、せっかくですがうかがえませんと」「そうかい、いいよ、こんどはさしで、みっちに聞かせてやろう」

さらに、金物屋は今晩寄りあいがある、小間物屋はかみさんが臨月で急に産気づき、とび頭はごたごたの仲裁に明日朝一番で成田へ行くので来れない、隣のばあさんは風邪をこじらせ、ご子息は商用で帰りは終電車、豆腐屋は生揚げとがんもどきを850も請けおって今夜は夜なべ……みんな口実をもうけて誰も来ないとわかると、「しかたない、店の者にだけでも聞かせよう」。ところが、店の一番番頭は二日酔いで二階で寝ているというし、藤蔵は脚気のためあぐらで聞いては申し訳ないからごめん、峰吉は胃けいれん、文吉は神経痛、幸四郎は眼病で出てこれない……。

「耳が悪いなら話がわかるが、目が悪くて聞けないってのはどういうわけだ」「だんなの義太夫は人情ですから涙が出ます、それが目に悪いと眼医者からのおさしとめだそうで…」「ばあやはどうした?」「ぼっちゃんと先に休んでいます」「それじゃ、おまえはどうなんだ?」「へえ、あたしはその、一人で長屋を回ってまいりまして……(しどろもどろで言い訳しようとすると、だんなににらまれて) ええ、あたしは因果と、覚悟いたしました、さぁうかがいましょう。さ、お語りあそばせ、もう、わたし一人でも」と、涙声。だんなは怒り心頭に達し、「ああよござんす、どうせあたしの義太夫はまずいから、そうやってどいつもこいつもありもしない用をこしらえて来ないんだろ。やめます。だがね、義太夫の人情がわからないようなやつらに住んでほしくないから、あした十二時限り長屋を明け渡すように連中にいってきておくれ。店の者もそうですよ、もうみんな家へ帰っとくれ、ひまを出します。定吉、座ぶとんをかたづけちまいな、それから三味線の師匠をお帰しして、湯なんざ捨てちまえ…床敷いとくれ、あたしゃ、寝ますよ」

さぁ、お店の者にひまが出て、長屋の者が全員追い出されてはたまらないと、繁蔵は長屋をずっと回って相談します。「だんなさま、ただ今、長屋のかたがそろってまいりまして、だんなさまの義太夫を、ほんのさわりだけでもいいからうかがいたいって…いかがなものでしょう。みんなが待っておりますようなわけで…」「語らないよ、ばかにしやがって、いいかい、こっちが語りましょう、むこうが聞きましょう、ピタリと意気ってものがあわなきゃ、こういうことはできるもんじゃないよ。なに? みなさんが、一段でも聞かなくちゃ帰らないってぇの? うふふ、どうしてこう、うちの長屋の連中は好きなのかね…そうかい、じゃ、おまえの顔を立てて、きょうのところは一段語るか」

長屋の連中、陰では横町の隠居がだんなの義太夫で「ギダ熱」を患ったとか、隣の婆さんは七十六にもなって気の毒だとかぶつくさいっていますが、だんなは、あわただしく準備をし直し、張り切ってどら声を張り上げます。どう見ても、人間の声とは思えない。動物園の裏を通るとあんな声が聞こえる、カバがうなされてる声だとか、一同閉口しながらも、酒に酔って残らずゴロゴロその場に寝ちまいました。

だんなは、静かになったので、感にたえて聞いているんだろうと、御簾(みす)を持ちあげてのぞくとこのありさま。「おい師匠、三味線やめとくれ! あきれけぇった奴らだ、みんな寝てやがる。家は木賃宿じゃない」とおこっていると、隅で定吉が一人泣いています。だんなは喜んで、子どもでさえ義太夫の情がわかるのに、恥ずかしくないかとみんなに説教。「定吉、ここへきな、おまえが一人でも聞いていてくれたと思うとうれしいよ。どこが悲しかった? やっぱり、子どもが出てくるところだな。『馬方三吉子別れ』か?『宗五郎の子別れ』か? そうじゃない? あ、『先代萩』だな?」「そんなとこじゃない、あすこでござんす」「あすこは、あたしが義太夫を語った床じゃないか」

「あすこが、あたくしの寝床なんでございます」


「2月8日にあった主なできごと」

1725年 ピョートル大帝死去…ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、バルト海交易ルートを確保した ピョートル大帝 が亡くなりました。

1828年 ベルヌ誕生… 『80日間世界一周』 『海底2万マイル』 『地底探検』 『十五少年漂流記』 などを著し、ウェルズとともにSFの開祖として知られるフランスの作家 ベルヌ が生まれました。

投稿日:2012年02月08日(水) 05:46

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)