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明治学界の重鎮・加藤弘之

今日2月9日は、明治期の政治学者・教育家として啓蒙活動を行った加藤弘之(かとう ひろゆき)が、1916年に亡くなった日です。加藤は、東大の初代総長としても有名です。

1836年、但馬国出石藩(現・兵庫県豊岡市)藩士の家に生まれた加藤は、10歳で藩校弘道館に通って朱子学を中心とした儒学、さらに兵学を学びました。17歳の時、父とともに江戸に行き、佐久間象山 らから甲州兵学・儒学・洋学を学ぶうち、洋学に魅せられて、哲学・倫理学・法学などを勉強していきました。貧しさと戦いながら勉学に励んでいたころ父が亡くなり、母は早く死亡し兄弟もすでに亡くなっていたため、加藤は天涯孤独の身となりました。

1860年、幕府が各藩の指導者を養成するためにつくった学校「蕃書調所」の教授手伝に採用された加藤は、幕府の御用学者としての権威主義的色彩を強く持つようになります。ドイツ学を究め、明治天皇教育のため「国法汎論」を講義し、憲法・三権分立・市町村自治の基本を理解し、ヨーロッパから輸入された「天賦人権論」(すべての人間は生まれながらにして自由・平等の生活をする権利を有するとする思想)を信じ尊び、1873年には 福沢諭吉、森有礼、西周らとともに明六社を結成、啓蒙活動を展開しました。

ところが1882年、進化論の影響を受けて、これまでの考えから優勝劣敗の社会進化論へ180度転換する『人権新論』を著わし、旧著『真政大意』と『国体新論』の絶版を宣言、「反天賦人権説」を唱えて民権論を攻撃しはじめました。

加藤は、1890年初代東京帝国大学総長になり、貴族院議員にも選ばれ、1900年に男爵を授けられました。1906年には帝国学士院院長、枢密顧問官に選ばれ、その後、教育調査会総裁、高等教育会議議長、文学博士会会長、哲学会会長、国家学会評議員長、ドイツ学協会学校長など、多彩かつ華やかな活躍をし、明治の総帥として頂点をきわめました。また、憲法・政治・道徳・法律・哲学に関する膨大な著書を残し、81歳の生涯を全うしています。


「2月9日にあった主なできごと」

1856年 原敬誕生…日本で初めて政党内閣を組織し、爵位の辞退を表明したため平民宰相といわれた明治の政治家 原敬 が、生まれました。なお、原敬は1921年、首相在任中に暗殺されました。

1881年 ドストエフスキー死去…「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などを著し、トルストイやチェーホフとともに19世紀後半のロシア文学を代表する文豪・思想家 ドストエフスキー が亡くなりました。

1956年 原水爆実験中止決議…第2次世界大戦で広島・長崎に原爆被害を受けたわが国は、1954年南太平洋にあるビキニ環礁で行なわれたアメリカ水爆実験で、第5福竜丸が死の灰をあび、久保山愛吉さんの死亡したビキニ事件がおこりました。これがきっかけとなって、原水爆禁止運動がさかんとなり、国会はこの日原水爆実験中止を決議、アメリカ、ソ連、イギリス政府に実験中止の申し入れをしました。

投稿日:2012年02月09日(木) 05:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)