「おもしろ古典落語」の57回目は、『二番煎(にばんせん)じ』というお笑いの一席をお楽しみください。
火事と喧嘩は江戸の花とかいって、名物といわれるほど火事がよくありました。特に真冬は乾燥してるために大火事がたえません。そこでどこの町内にも番小屋というのがありまして、町内のだんな方が交代で番小屋を出まして、時間をきめて町内を回って歩きます。寒いので手をぬきたくても、町奉行の役人が見まわってるので、しかたがありません。しんしんと冷えこむ夜更けの町を連れだって、拍子木や鳴子や鉄棒を鳴らしながら『火のぉーよぉーじーん』……、番小屋にもどってくるころには、だれもが冷えきってしまいます。
「行ってまいりました、さぁ、お次の番ですよ。交代、こうたい、あぁ火の側はあったかいね。何よりのごちそうですねぇ。炭をどんどんついであたたまりましょう」「あのーっ、月番さん」「なんです?」「じつは、今晩家を出るときに、娘が『おとっつぁん、寒いから…歳ぃとってんだし、火回りで風邪ひくといけない』って、このひょうたんの中に、お酒を入れて持ってきたんですが、みなさんであがっていただきたい…」「お酒? 近江屋さん、ここは番小屋ですよ、番小屋でお酒を飲んだってことが役人に知れたら、こりゃ大変ですよ。あなた、このなかで一番の年かさなんだから、そんなことしたらいけないって、止める立場じゃないですか」「いゃっ、こりゃ面目ない、じゃぁ、しまいましょう」「なにも、ひっこめることはないでしょ、せっかく出したんだから」「というと、どうしましょう?」「飲むんです」「たった今、番小屋で酒飲んじゃいけないって…」「へへへ、酒だからいけないんです。でも煎じ薬なら、さしつかえないでしょ」「なるほど、こりゃ、おそれいりました」「おそれいることはありません、わたしもふところに、この通り1本隠してあります」「なんだい、あんた、おどかしちゃいけないよ」「えー、月番さん、じつはあたしも…」「なんだ、みんな持ってきてるのかい」
土瓶の茶を捨てて「煎じ薬」を入れると、炭がおこってますからすぐに熱燗になって、酒盛りがはじまります。すると肴が欲しくなります。おあつらえ向きにもう一人が、猪の肉を持ってきたといいます。それも、土鍋を背負ってくるという手回しのよさ。そのうち味噌が出る、ネギが出る。さかずきをやったりとったり、すっかりいい気持になってきました。「あたしゃねぇ、お神酒がまわってくると、どどいつをやりたくなるんです」「冗談でしょ、番小屋でどどいつなんて、ダメですよ」「いいじゃありませんか、ねぇ…つつん、つん、つつ…んとん…」いい調子になってると、しんばり棒をかった表戸を、ドンドンたたくものがあります。
「ここを開けろッ。番の者はおらんかッ、見回りの者である」「え? おぅ、こりゃいけねぇ、お役人だよ、あぁ、どうしよう」あわてて土瓶と鍋を隠しましたが、全員酔いもさめてビクビクです。「あー、今わしが『番』と申したら『シぃ』と申したな。あれは何だ」「へえ、寒いから、シ(火)をおこそうとしたんで」「それに、土瓶のようなものを隠したな」「風邪よけに煎じ薬を飲んでましたんで」役人、ニヤリと笑って「さようか。ならば、わしにも煎じ薬を一杯のませろ」しかたなく、そうっと茶碗を差し出すとぐいっとのみ「ああ、よしよし。これはよい煎じ薬だな。ところで、さっき鍋のようなものを」「へえ、口直しでして…」「ならば、その口直しを出せ」もう一杯もう一杯と、酒も肉もきれいに片づけられてしまいます。「ええ、まことにすみませんが、煎じ薬はもうございません」
「ないとあらばいたしかたがない。しからば拙者もう一回りまわってくるから、…二番を煎じておけ」
「1月30日にあった主なできごと」
1649年 チャールズ1世処刑…1628年、イングランド議会から国王チャールズ1世に対して出された「権利の請願」は、大憲章(マグナカルタ)・権利章典とともにイギリス国家における基本法として位置づけられていますが、チャールズ1世はこれを無視して議会と対立。3日前に公敵として死刑の宣告を受けた国王が、この日処刑されました。こうして議会が国政に参加する権利を確立した「清教徒(ピュリタン)革命」が終結しました。
1902年 日英同盟…清(中国)や韓国に進出しようとするロシアに対抗するため、この日ロンドンで「日英同盟」が結ばれました。イギリスの清の権益、日本の清や韓国の権益を相互に認め、一方が戦争になったときは中立を守り、そこに第三国が参入したときは援助しあうというものでした。当時のイギリスは、アフリカでの戦争に消耗しており、ロシアの南下をおさえる「憲兵」の役割を日本に期待したもので、日本は日露戦争への道をたどりはじめました。