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イタリア歌劇最大の作曲家・ベルディ

今日1月27日は、オペラ『リゴレット』『椿姫』『アイーダ』などを作曲し、19世紀イタリア・ロマン派音楽の作曲家ベルディが、1901年に亡くなった日です。

1813年、イタリアの中北部ロンコーレ近郊の村で農業を兼ねる宿屋の子として生まれたジュゼッペ・ベルディは、幼いころから音楽の才能をみせはじめ、7歳のころには村の教会のオルガニストに音楽を学びはじめました。12歳のころには先生をしのぐほどの腕前になりましたが、家が貧しいために働きに出なくてはなりません。しかし、ベルディの才能を惜しむ村の有志が学資を出し合って、ベルディに音楽の勉強を続けさせてくれたのです。1832年にミラノに出たベルディは、正式に作曲法を学び、1836年に聖バルトロメオ教会の楽長となりました。

1839年、最初のオペラ『伯爵オベルト』をミラノで初演すると好評を博し、1842年の『ナプッコ』の成功で、オペラ作曲家としての地位を確立すると、1850年までの間に『ロンバルディア人』『ジャンヌダルク』など14作ものオペラを次々に成功させて、ロッシーニの後継者と目されるようになりました。ベルディのオペラの大きな特長は、メロディ中心の伝統的なオペラをベースに、ドラマ性を重視したところに新しさがありました。そして、1851年にフランスの文豪ビクトル・ユゴーの戯曲を脚色した、醜いせむし男の道化師を主人公にした『リゴレット』を発表すると、第4幕の 「女心の歌」 が特に評判になり、たちまち広まって最も親しまれるオペラの歌となったばかりか、ベルディの名を世界的なものにしました。

第1級のオペラ作曲家となったベルディは、1853年に『椿姫』を発表しました。これもデュマの小説を脚色したもので、青年アルマンが娼婦ビオレッタに恋し、真の愛にめざめるものの父親から引き離され、ビオレッタは結核で亡くなるというストーリー。第1幕の 「乾杯の歌」 「ああ、そはかの人か」など、メロディの美しさは有名です。

さらに1871年、同時代のドイツのワーグナーのオペラを研究し、その壮大な管弦楽法を採り入れた 『アイーダ』 を書いて大成功をおさめました。この作品は、スエズ運河の開通を祝ってエジプト国王に依頼され、カイロで初演されたスペクタクルオペラで、捕らわれたエチオピアの王女アイーダとエジプトの士官ラダメスの恋の物語です。第2幕には数百人の合唱団やバレエ団が登場するという豪華さ、「凱旋行進曲」「バレエ音楽」はここに登場するほか、「清きアイーダ」「勝ちて帰れ」「おお、わが故郷」など、優れた曲に満ちあふれています。

ベルディが生涯に発表したオペラは26曲、今も世界じゅうのオペラハウスで演じられ、親しまれています。


「1月27日にあった主なできごと」

1219年 源実朝死去…鎌倉幕府の第3代将軍で、歌人としても著名な 源実朝 が、兄の2代将軍頼家の子公暁に暗殺されました。公暁も殺され、源氏の血が絶えてしまいました。

1756年 モーツァルト誕生…ハイドンやベートーべェンと並んでウィーン古典派三大巨匠の一人であるオーストリアの作曲家 モーツァルト が生まれました。

1832年 キャロル誕生…イギリスの数学(幾何学)者でありながら『不思議の国のアリス』や『鏡の国のアリス』 などファンタジーあふれる児童文学作品を著したキャロル(本名ドジソン)が生まれました。

1902年 八甲田山遭難事件…日本陸軍の歩兵隊が青森県八甲田山で冬季訓練中に遭難し、訓練への参加者210名中199名が死亡。軍の無謀な訓練が問題になりました。

投稿日:2012年01月27日(金) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)