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「日本近代哲学の父」 西周

今日1月31日は、明治の開明期に啓蒙思想家・教育者として活躍した西周(にし あまね)が、1897年に亡くなった日です。

1829年、津和野藩(今の島根県津和野)の藩医の子として生まれた西周は、幼少の頃から漢学の手ほどきを受け、12歳のとき藩校の養老館で朱子学を学びました。1849年には藩から儒学を深く研究することを命じられ、大坂や岡山に留学したのち、藩校の教官となりました。

1853年のペリー来航の際、事情を調べるために江戸に派遣された西は、蘭学にふれると、江戸に残って洋学を学ぶことを選択しました。翌年脱藩すると、困窮のなか必死で英学を学び、中浜万次郎(ジョン万)からも直接英語の発音を学んだといわれています。

1857年に幕府の蕃書調所の教授並手伝となり、同僚の津田真道らと知り合って、哲学や西欧の学問を深く研究しました。西と津田は、海外留学の必要性を幕府に願い出ると、それがかなって1862年幕命によりオランダへ留学、法学、哲学・経済学・国際法などを学びました。特に西は、カント の哲学に傾倒しました。

1866年に帰国すると、開成所教授に就任し15代将軍徳川慶喜の側近として活動しながら、「万国公法」の翻訳を命じられて1868年に出版、明治維新による王政復古をへて、徳川家によって開設された沼津兵学校校長にむかえられ、組織と管理に全力をそそぎました。兵学校付属小学校は後の小学校制度の基となっています。1870年、山県有朋 に乞われて明治政府に出仕、山県のブレーンとして兵部省につとめて西洋の軍事制度関連の翻訳や調査にあたるいっぽう、自宅に私塾「育英社」を開いて、たくさんの弟子を育てました。1873年に、森有礼が「民六社」を創設すると、福沢諭吉・加藤弘之・中村正直・西村茂樹らと加わり、機関紙『明六雑誌』に、西洋哲学の翻訳・紹介など、哲学の関係の論文を多く寄稿して、「哲学」をわかりやすく紹介しました。

さらに、文部省・宮内省などの官僚を歴任し、「軍人勅諭」の草案を起草するなど、軍政の整備とその精神の確立につとめました。また東京学士会院会長、東京師範学校長、獨逸学協会学校長などをつとめ、教育行政の面でも重要な役割をにないました。元老院(1875年〜90年におかれた立法機関)議官や、貴族院議員にも任じられました。

なお西は、西洋語を「哲学」「主観」「客観」「芸術」「理性」「科学」「技術」など、苦心しながら、たくさんの訳語を生みだしたことでも知られています。


「1月31日にあった主なできごと」

1797年 シューベルト誕生…『ぼだい樹』『野ばら』『アベ・マリア』など600曲以上もの歌曲や、『未完成交響曲』などの交響曲や室内楽曲、ピアノ曲などを作曲した シューベルト が生まれました。

1947年 ゼネスト中止命令…激しいインフレを背景に生活を脅かされた労働者たちは、共産党の呼びかけで2月1日にゼネスト決行を計画しましたが、マッカーサーGHQ総司令官は、ゼネストは日本経済を破滅においやると、中止を指令しました。

1958年 アメリカ初の人工衛星…前年にソ連に先を越されたアメリカは、初の人工衛星エクスプローラ1号の打ち上げに成功しました。

投稿日:2012年01月31日(火) 05:01

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)