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「フォッサマグナ」 を発見したナウマン

今日2月1日は、明治の初期に来日し、近代地質学の基礎を築くとともに、日本初の本格的な地質図を作成したドイツの地質学者ナウマンが、1927年に亡くなった日です。

1854年、東ドイツのマイセンで生れたハインリヒ・エドムンド・ナウマンは、1874年にミュンヘン大学を卒業後、バイエルン地質調査所に勤務して、鉱石や化石の研究をしていました。

1875年に明治政府に招かれて来日、文部省の命を受けて日本各地の鉱石を調べました。翌年「開成学校」で地質学を教え、1877年に東京帝国大学地質学教室の初代教授となりました。講義のいっぽう、野外活動を活発におこない、中部・近畿地方の地質調査旅行にもでかけました。1878年にはその体験から、日本じゅうをくまなく地質調査をして、地形図をこしらえあげる重要性を提言、政府による地質調査所が設立されると、そこの技師長に就任して、全国各地の地質構造の解明に尽力し、初めて等高線を記した地形図と地質図を作成するという、ぼう大で貴重な作業をなしとげました。その調査は本州、四国、九州と、距離は1万kmに及んだと伝えられています。

1885年にその成果を「日本列島の生成と起源について」という論文に発表、地質構造の異なるラインが糸魚川から静岡にまで至ることを重視して、褶曲山脈である日本列島は、「フォッサマグナ」(ラテン語・大きな割れ目)で東西に二分していることを指摘しました。

またナウマンは、瀬戸内海の小豆島や、浜名湖北岸の工事現場などで、日本だけにみられる象の化石を発見し、大昔の日本列島に象がいたことを明らかにしました。のちにこの象は「ナウマン象」と命名されています。

1885年に帰国後のナウマンは、ミュンヘン大学の助教授として地質学や地理学を講じたのち鉱山会社に関連した仕事につき、晩年は病に悩まされながら、フランクフルトで74年の生涯を閉じました。


「2月1日にあった主なできごと」

1874年 佐賀の乱…前参議の江藤新平をリーダーとする明治新政府に不満を持つ佐賀県の士族が、政商の小野組を襲い「佐賀の乱」を起こしました。

1922年 山県有朋死去…明治・大正時代に政治家を兼ねながら、「明治の元勲」といわれ陸軍の最高実力者として活躍した山県有朋が亡くなりました。

1953年 テレビ放送開始…NHKは、日本初のテレビ本放送を開始しました。当時のテレビは値段が高かったため、契約者はわずか866名でした。

投稿日:2012年02月01日(水) 05:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)