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らくだ

「おもしろ古典落語」の56回目は、『らくだ』というお笑いの一席をお楽しみください。

「くずーぃ、ぐずやぁ、おはらい…」「ぐず屋、おい、くず屋」「いけねぇ、らくださん家(ち)の前だ、向こうの道をまわりゃよかったな。…へ、へい、らくださんのお宅ですね」「そうだ、おめぇらくだを知ってんのか?」「へぇ、いつもくずをいただいております」「そいつは都合がいい、まぁ、入れ」「…らくださんはお留守で?」「留守じゃねぇ、死んじまった」「えっ、死んだ? そいつぁ、ありがた…いえ、お気の毒なことで…、死ぬような人じゃなかったんですが、あなたが殺したんですか?」「ばかなこというな、フグを食って当たったらしい」「ふーん、こわいもんですな」「それでだ、オレはらくだの兄貴分の半次って者だが、今おれのふところには百文もねぇ。この家のものをあらいざらい売って、葬式の金をこさえようと思うんだ。うんと奮発して買ってくんねぇ」「この家には、いただくものなんか何にもありません」「そこに土瓶や七輪があるだろ」「土瓶は底が抜けてます。七輪もこっちから見るとちゃんとしてますが、向こう側に大きな穴がありまして、3厘の値打もありません」

長屋の連中に香典を出させようと思い立った半次は、くず屋をおどして、月番のところへ行かせました。「えっ、らくだが死んだ? そいつはよかったな」「で、今兄貴分という人がきていまして、なるべく早く香典を集めて届けてくれって、こう申します」「冗談じゃねぇ、らくだなんて長屋のつきあいなんぞしたことはねぇ、月掛けだって出したことあるか、月掛けを集金にいくと、月番という月番がなぐられて帰ってくるんだ。あんなやつに香典だすやつはいねぇよ」「ここはひとつ、お出しになったほうがいいですよ。なんたって、らくださんより、もう一段も上の、ものすごい奴なんですから、何をされるかわかりません」ということで、長屋の者たちはしぶしぶいくらか包んで月番に渡し、月番は集めたものを半次に届けます。

味をしめた半次、いやがるくず屋を、今度は大家のところに行かせ、今夜通夜をするから、酒三升と肴を大皿2枚、暖かいご飯をおひつに2杯届けるようにといいわたしました。「ばかをいうんじゃない。らくだは引っ越して1年半、店賃を一度も払ってねぇんで、先月店賃を払わないうちは、ここを動かないって座り込んだんだ。すると『きっと動かねぇな』っといったかと思うと、なにか長いものを振り上げて、これでもかぁって…わしは、きもをつぶして土間へ転がり落ちたよ。命からがら表へとびだすうち、下駄をおいてきちまった。らくだのやつはあくる日、その下駄をはいて鼻歌うたって歩いてやがる。あんなずうずうしい奴が死んだって、そんなものは出せるわけねぇ」と突っぱねました。「いやだといったら、らくださんの死骸にかんかんのうを踊らせに来るそうです」といっても「おもしれぇ、退屈で困っているから、ぜひ一度見てぇもんだ」と、大家は一向に動じません。

くず屋の報告を聞いて怒った半次、それじゃぁといって、くず屋にむりやり死骸を背負わせ、大家の家に運びこみました。さすがの大家もついに降参し、酒と肴と飯を届けました。横町の豆腐屋も同じ手口で脅迫し、棺桶がわりに四斗樽をぶんどってくると、くず屋は、もうご用済みと帰ろうとしますが、酒を飲んでいけといいます。仕事があるから帰してくれと頼んでも、オレの酒が飲めねえかと、すごまれて、もう一杯、もう一杯と飲まされるうち、だんだんくず屋の目がすわってきました。「おい、おめぇ、大丈夫か? 家へ帰ると68のおふくろと女房と子どもがいて、一日商売を休むと、困るんだろ?」「ばかにするねぇ、1日くらい休んだって、女房っ子をひぼしにするようなオレさまじゃねぇや。もう一杯注げ!」「おや、あべこべになっちまった、だいぶ酔っちまったじゃねぇか」「何いってやがんだ。てめぇの酒じゃねぇ。オレが死骸をかついでもらってきた酒だ、オットットトト…あぁ、うめぇ、まったく苦労させた酒だよ。もう一杯!」

完全に酒が回ったくず屋が「らくだの死骸をこのままにしておくのは心持ちが悪いから、オレの知り合いの落合の安公に焼いてもらいに行こうじゃねえか。その後は田んぼへでも骨をおっぽりこんでくればいい」と相談がまとまり、らくだを樽に押しこんで、二人でかついで高田馬場を通り、落合の火葬場へ行きます。お近づきのしるしということで安公と三人で飲み始めましたが、いざ焼く段になると、死骸がありません。どこかへ落としてきたのかと、二人はもと来た道をよろよろと引き返すと、一人の坊主が酔っぱらって寝こんでいます。「こんなとこに落ちてた」と桶に入れ、焼き場にもどります。火をつけると、坊主が目を覚ましました。「アチチチチ…」「やや、死人のくせに跳ねおきやがった」「やい、なんだったってこんなところへ人を入れやがった、ここはどこだ」「ここは火屋(ひや)だ」

「ふふ、冷酒(ひや)でもいいから、もう一杯くれ」


「1月17日にあった主なできごと」

1706年 フランクリン誕生…たこを用いた実験で、雷が電気であることを明らかにしたばかりでなく、アメリカ独立に多大な貢献をした政治家・著述家・物理学者・気象学者として多岐な分野で活躍したフランクリンが生まれました。

1991年 湾岸戦争勃発…アメリカ軍を主力とする多国籍軍は、クウェートに侵攻したイラク軍がこの日に設定されていた撤退期限が過ぎてもクウェートから撤退しなかったため、イラク軍拠点に攻撃を開始し、1か月あまりにおよぶ湾岸戦争が勃発しました。

1995年 阪神・淡路大震災…午前5時46分、淡路島北部を震源とする巨大地震が発生しました。神戸市・芦屋市・西宮市などで震度7の激震を記録、神戸市を中心に阪神間の人口密集地を直撃して、鉄道・高速道路・港湾等の交通機関や電気・水道・ガスのライフラインが壊滅状態となりました。自宅を失なって避難した人は30万人以上、死者6400人以上、負傷者43000人余、倒壊・損壊家屋は40万棟を越える大惨事となりました。

投稿日:2012年01月17日(火) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)