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浮世寝問

「おもしろ古典落語」の55回目は、『浮世寝問(うきよねどい)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「ご隠居さん、いるかい?」「八っつぁんか、相変わらず壮健で何よりだ」「あの、おもて通りの伊勢屋ですけどね」「何だ、唐突に?」「今晩、婚礼があります。『嫁入り』だって騒いでますけど、女が来るんだから、女入りとか、娘入りとかいえばいいのに、何だって、嫁入りなんです?」「男にも女にも目が二つずつある。合わせると4つの目、四目(嫁)入りだ」

「嫁に行くと、『奥さん』なんていわれますね。あれはどういうわけで」「そのうちに子どもが生れると、店先でお産をせずに、奥でするだろ、だから奥産(奥さん)だ」「あっしんとこは、『かかぁ』といいますが」「女は家から出て、家におさまる。だから家家と書いて、かかぁ、だ」「婚礼の席にはいろんなものが飾ってありますね。じいさんとばぁさんが箒を持ったり、熊手を持ったりした人形がありますが…」「あれは、蓬莱の島台といって、能で翁と老女の面をかぶっておる。お前百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで という都々逸(どどいつ)があるのを知ってるか」

「なるほど。それに、松とか竹とか、梅とかがかざってありますね」「松竹梅(しょうちくばい)といいなさい」「なんで、あんなものを飾るんです?」「梅は女をあらわしている。煮ても焼いても酸っぱい味は変わらない。夫を酸いて(好いて)心変わりはいたしませんということだ。皺のよるまで あの梅の実は 味も変わらず 酸いのまま」「それも都々逸ですか? 梅干ばばぁなんてのは、ほめ言葉なんだ。で、竹は?」「竹は男の気性だ。真っすぐで、腹の中はさっぱりしてて、締まるところにはちゃんと節があって、しっかり締まってますてぇとこだ」「松は?」「松の双葉は枯れて落ちても離れない。夫婦もそうありたいということだ。松の双葉はあやかりものよ 枯れて落ちても 夫婦連れ。どうだ、情愛にあふれてるだろ」

「ご隠居さんは、何でも知ってますね」「おまえさんが、ものを知らな過ぎるんだ。都々逸から、いろいろ割り出してますね。鶴や亀が千年も万年も長生きして、そのあとはどうなります?」「めでたいから、極楽へ行くだろう」「極楽てぇのはどこにあります?」「遠い、西方弥陀の浄土、十万億土だ」「その、さいほう、なんとかっというのは?」「西の方だ」「西てぇのは、小田原から箱根あたり?」「もっとずーっと先」「ずうっと、先ってぇのは、どのあたり?」「いい加減におしっ、あるから心配するな」「てすから、どこにあるんです?」「だから、もうお帰り」「そうはいきませんよ、、出る物が出るまでは居続けます」「いやなやつだな。お前さんのようにしつこいやつは、とても極楽へは行けないな」「じゃ、あっしはどこへ行くんで」「地獄だな」「地獄はどこにあるんで」「極楽の隣だ」「じゃぁ極楽は?」「うるさいな、少しは相手の身にもなれ」「あはぁ、まいったか」「じゃ、見せてあげるから、こっちへおいで」と、隠居が連れていったのが仏壇です。

「へぇ、極楽ってぇと、仏さまが大勢いるといいますが」「ああ、ご位牌が仏さまだ」「じゃ、音楽が聞こえて、紫の雲がたなびいて、蓮の花が咲いて、きれいなとこだっていいますがねぇ」「ごらんよ、こしらえもんだが、ちゃんと蓮の花があがっている。それに紫の雲だが、これは線香を焚けば、紫の雲のかわりになる。音楽は、鐘もあるし木魚もあるじゃろ」「…すると、何ですか、みんな死ぬとここへ来る?」「ああ、みんな死ねばここへきて、仏になれる」「じゃ、鶴や亀もここへ来て仏になりますか?」「いゃ、ああいうものは畜生だからなれない」「じゃ、何になります?」

「ごらん。この通り蝋燭(ろうそく)立てになっている」


「1月11日はこんな日」

鏡開き…歳神様へおそなえしておいた鏡餅を、神棚からおろして雑煮や汁粉にして食べる「鏡開き」の日です。餅は、刃物で切らずに、手で割り開いたり木槌でわったり砕いたりします。武家社会の風習が一般化した行事です。


「1月11日にあった主なできごと」

1569年 謙信が信玄に塩を贈る…5度にわたる「川中島の戦い」を、甲斐(山梨)の 武田信玄 と戦った越後(新潟)の 上杉謙信は、敵である信玄に塩を贈りました。陰謀で塩を絶たれて困っていた武田方を救うためで、このいい伝えから「敵に塩を贈る」ということわざが生まれました。

1845年 伊能忠敬誕生…江戸時代後期の測量家で、日本全土の実測地図「大日本沿海輿地(えんかいよち)全図」を完成させた 伊能忠敬 が生まれました。

1851年 太平天国の乱…清(中国)のキリスト教徒である 洪秀全 が「太平天国」を組織して反乱をおこしました。4、5年後には数十万人もの兵力にふくれあがり、水陸両軍を編成するまでに至りましたが、1864年に鎮圧されました。

1974年 山本有三死去…小説『路傍の石』『真実一路』や戯曲『米百俵』など、生命の尊厳や人間の生き方についてやさしい文体で書かれた作品を多く残した 山本有三 が亡くなりました。

投稿日:2012年01月11日(水) 09:41

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)