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「植物分類の父」 リンネ

今日1月10日は、スウェーデンの植物学者のリンネが、1778年に亡くなった日です。

1707年、スウェーデン南部スモーランドの小村に貧しい牧師の子として生まれたカール・リンネは、幼いころから花や植物採集が好きで、町の内科医から植物学の基礎を教わるうち、8歳のころには「小植物学者」とあだ名されるほどでした。働きながらルンド大学へ入り、1年後にはウプサラ大学へと移って医学を学び、植物学に熱中します。リンネの知識は大学長を驚かすほどで、植物の生殖法を詩の形式で記したものは植物学教授から注目され、才能が高く評価されました。

1729年に大学を卒業すると、大学付属植物園の教授代理をつとめましたが、まもなく植物園は閉鎖されてしまいました。1732年、王立科学会から選ばれて、ひとりでスカンジナビア北部ラップランドを探検、持ち前の観察力と独自の系統だてる力を発揮して、その地方の風土、習俗などを調べ上げました。

1735年にオランダのハルデルウェイク大学で学位をとったのち、アムステルダムやライデンに3年あまり留学。その間に『自然の系統』という小冊子を著わし、動物・植物・鉱物の分類法の考え方を示したところ、大評判となってたちまち有名になりました。留学の後半期にはクリフォードという後援者を得たリンネは、『植物学の基礎』『クリフォード植物誌』『植物の属』などをつぎつぎと出版しました。

帰国したリンネでしたが、スウェーデンでの名声はさほど高くなく、ストックホルムで医院を開業しました。やがて母国での名声もあがり、1741年にウプサラ大学の薬学教授となりました。まもなく植物学教授になって、いちばんやりたかった植物学講座を受け持つことができました。リンネの講義は評判をよび、ヨーロッパはもとより、世界じゅうから留学生が集まりました。リンネは、大学付属植物園を再建させてさまざまな角度から植物研究にいそしみ、門下生を世界各地に派遣して、植物採集にあたらせました。

リンネの大きな功績に、スウェーデン王は1761年にリンネを貴族のしるしである「フォン」を授けたため、以後は、カール・フォン・リンネと名乗るようになります。こうしてリンネは生涯に論文や著書を180以上も遺しましたが、リンネの代表作は、なんといっても『自然の系統』です。1735年に14ページほどの初版を出してから、補遺を重ねて生涯に12版を著わし、リンネの考え方を踏襲した人たちが死後10年以上をへて13版・全10巻の大冊となっています。

リンネ分類法の基本は、「花」を植物の最も大切な部分と考え、花のしくみの特徴から「顕花植物」23綱、「陰花植物」1綱、計24綱に分け、およそ8000種類を分類しています。さらに「綱」以下、「目・科・属・種」の順に分類し、それが用いられた「属名」と「種名」を書きならべてあらわす「二名法」を考え出しました。これは、今も学名として使用されているものです。

なお、リンネが集めたばく大な標本は、イギリスの植物学者に売られ、それを聞いたスウェーデン国王はあわてて取り戻そうとしましたが時すでに遅く、イギリスは「リンネ協会」をつくって、大切に保存しました。


「1月10日にあった主なできごと」

1709年 徳川綱吉死去…江戸幕府の第5代将軍で、当初はすぐれた政治を行なったものの、悪名高い「生類憐みの令」をはじめたために「犬公方」といわれた 徳川綱吉 が亡くなりました。

1920年 国際連盟発足…第1次世界大戦の反省から、初の国際平和機構である「国際連盟」が発足し、日本を含む42か国が加盟しました。

1922年 大隈重信死去…明治時代に参議・外相・首相などを歴任した政治家であり、東京専門学校(のちの早稲田大学)を創設させた 大隈重信 が亡くなりました。

投稿日:2012年01月10日(火) 07:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)