今日1月6日は、江戸時代後期の禅僧で歌人・書家の良寛(りょうかん)が、1831年に亡くなった日です。
1758年、越後国(いまの新潟県)出雲崎の名主の子として生まれた良寛(本名・山本栄蔵 号・大愚)は、少年時代に親類の家に数年間移り住んで儒学を学んだのち、18歳で隣村にある光照寺に入って出家しました。22歳のとき、玉島(岡山県倉敷市)の円通寺を訪れ、国仙和尚のもとでおよそ11年間、禅宗の修業をしました。和尚から「印可」といういわば卒業証書をえた良寛は、全国行脚の旅に出ました。その間に学問を深め、和歌、漢詩、書道にもはげみました。
行脚の旅を終え、故郷に帰ったのは38歳のころでしたが、すでに父母がなくなっていたために生家には入らず、托鉢姿のまま転々としました。1804年、現在の燕市にある国上寺の五合庵に安住します。8畳ほどの粗末な庵で、ひとり静かに詩歌や書の研さんにはげみ、ときおり訪れる友と語らい、子どもたちと遊ぶ日々をすごしたようです。身辺にはわずかの世帯道具と法衣以外にはなく、書物も知り合いから借りて、読後は返却したと手紙に記されています。1816年、薪や水の不便を感じた良寛は、山麓にある神社境内の草庵に移り住んだのち、現長岡市の知人の邸内の離れに住んだことが知られています。
良寛の生命力が高揚し、もっとも充実した時期は、五号庵時代をはさむ約30年間でした。和漢の古典に深く根ざしながら、独自の作風を創り上げた詩歌や書は、どれも格調高く、奥深く、やさしい心根をかもしだしています。無欲な性格で、生涯寺を持たず、妻もめとらず、墨染の衣を着て托鉢僧としてすごしました。難しい説法を行うことなく、自ら質素な生活を示すことや、簡単な言葉をなげかけて、わかりやすく仏の道を示し、その姿勢は一般民衆のみならず、さまざまな人々の共感や信頼を得ることになりました。また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら、般若湯(酒)を好み、良寛をしたう人たちと、ひんぱんに杯を交わしました。
良寛を深く愛し、最期をみとった弟子の貞心尼は、良寛の和歌を集めた『蓮の露』を遺しています。しかし、良寛の優れた芸術性が評価されはじめたのは大正時代以降で、詩歌や書の収集が進んで、今では1400首の和歌が知られています。
なお、良寛のさまざまなエピソードや詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」28巻目の「良寛」をぜひご覧ください。
「1月6日にあった主なできごと」
1215年 北条時政死去…鎌倉時代の初期、源頼朝の打ちたてた鎌倉幕府の実権を握り、北条氏の執権政治の基礎を築いた武将・北条時政 が亡くなりました。
1412年 ジャンヌ・ダルク誕生…「百年戦争」 でイギリス軍からフランスを救った少女 ジャンヌ・ダルク が生まれました。
1706年 フランクリン誕生…アメリカ独立に多大な貢献をした政治家、外交官、また著述家、物理学者、気象学者として多岐な分野で活躍した フランクリン が生まれました。