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幕末維新期の指導者・横井小楠

今日1月5日は、幕末・明治維新にかけて思想家・政治家として活躍し、維新の十傑のひとりとされる横井小楠(よこい しょうなん)が、1869年に暗殺された日です。

1809年、肥後・熊本藩藩士の子として生まれた横井小楠は、藩校の時習館に入校すると、その優れた才能がみこまれて1837年には時習館の塾長にまでなります。1839年、藩命によって江戸に遊学、林大学頭に入門しました。江戸に滞在中に、幕臣の川路聖謨(としあきら)や水戸藩士の藤田東湖など、全国の優秀な人物と親交を結びました。ところが、翌年、酒に酔ってけんかをしたことで藩におとがめを受けて帰藩、「実学党」という研究会を開いて藩政改革を試みたところ、筆頭家老の「学校党」と対立して願いはかないませんでした。

1843年、私塾「小楠堂」を開き、朱子学と「実学」を説いて多くの門弟を指導していたところ、その評判を聞いた福井藩士が小楠に学び、その総合力の高さを藩に報告しました。小楠は、福井藩主・松永慶永(春嶽)の求めに応じて「学校問答書」と「文武一途の説」を書いて送ったところ、感銘した春嶽は1858年、藩に政治顧問として招へいしました。当時春嶽は、井伊直弼 による「安政の大獄」で隠居謹慎をいいわたされていましたが、小楠は『国是三論』を著わして富国・強兵・士道という改革を提唱、生糸の大量輸出によって巨万の利益を生みだし、「安政の大獄」で倒れた橋本左内亡きあとの藩政を指導しました。

1862年に春嶽が幕府の政治総裁職に就くと、小楠はそのブレーンとして江戸へおもむき、参勤交代制を廃止させたばかりか、公武合体に力をつくし、孝明天皇の妹である和宮を14代将軍・徳川家茂に嫁がせることに成功しました。しかし、福井藩の政変によって熊本へ帰りましたが、藩からは冷遇され、ちっ居を余儀なくされてしまいました。坂本龍馬 が1867年に起草した新国家体制の基本方針とされる「船中八策」は、小楠を熊本に訪ねた際、小楠は「国是七条」を龍馬に説き、それがヒントになったといわれています。

1868年、新政府に呼び出された小楠は、参与として京都に出仕しましたが、その進歩的な考えを嫌う尊攘派の生き残りの郷士らに暗殺されてしまいました。幕末から維新期のもっとも優れた理論的指導者だっただけに、その死が惜しまれています。


「1月5日にあった主なできごと」

1867年 夏目漱石誕生…『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『草枕』などの小説で、森鴎外と並び近代日本文学界の巨星といわれる 夏目漱石 が生まれました。

投稿日:2012年01月05日(木) 06:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)