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女性に絶大な人気を得た吉屋信子

今日1月12日は、大正・昭和期に活躍した作家の吉屋信子(よしや のぶこ)が、1896年に生まれた日です。

公務員家庭の8人兄弟の紅一点として新潟県に生まれた吉屋信子は、父の転勤のために栃木県で少女時代をすごしました。当時の家の多くがそうだったように、家長である父親が男尊女卑の考えを持っていたために、信子は父に反発を感じながら育ちました。8歳のころから子ども向けの雑誌や、文学作品をむさぼり読んだ信子は、小学校の担任から作文をほめられて自信を得、少女雑誌に投稿するようになります。そのころからキリスト教会に通い続けたことが、のちの作品に大きな影響をあたえることになりました。

栃木高等女学校に入学した際、新渡戸稲造 から「良妻賢母となるよりも、まず一人のよい人間とならなければいけない。教育とはまずよき人間になるために学ぶことです」という話に励まされ、14歳の時、雑誌 『少女界』 の懸賞小説に入選し、1916年には東京の兄を頼って上京、少女雑誌 『少女画報』に 『花物語』 を連載して人気作家となりました。この連載は10年以上もつづき、ベストセラーとなっています。

いっぽう、年下の宮本百合子が新人作家として活躍しているのに刺激されて、1920年に、牧師や神学生の生活ぶりを描いた長編『地の果まで』を『大阪朝日新聞』の懸賞小説に応募しました。これが1等となったことで小説家としてデビュー。さらに、同新聞から依頼されて『海の極みまで』を連載し、小説家としての地位を固めました。

以後、『女の階級』『女の友情』『良人(おっと)の貞操』など、キリスト教的倫理観に裏づけられた理想主義的作品を次々と著わし、たくさんの女性読者に感銘を与えつづけました。戦後には、知的な障害を持つ男性に「理想の男性像」を見出すという『安宅(あたか)家の人々』を発表して大きな話題となり、『鬼火』とあわせ1952年に女流文学賞を受賞しています。 その他 『徳川の夫人たち』 『女人平家』など、 歴史上の女性にスポットを当てた長編時代小説や、交遊のあった人々を回想した『自伝的女流文壇史』『私の見た人々』などの随筆も遺し、1973年に亡くなりました。

映画化された作品も多く、1936年に公開された『あの道この道』は、『乳姉妹』というタイトルでテレビドラマ化され、2005年の『冬の輪舞』は、この作品が原作となっています。


「1月12日にあった主なできごと」

1628年 ペロー誕生…「長靴をはいたねこ」「眠り姫」「サンドリヨン(シンデレラ)」など、ヨーロッパに伝わっている民話を題材に11のお話を「ガチョウおばさんの物語」という本に著したフランスの詩人、童話作家のペローが生まれました。

1746年 ペスタロッチ誕生…スイスの片田舎で孤児や貧民の子らへの教育に従事するなど、子どもたちへの愛の教育を貫いた ペスタロッチ が生まれました。

1866年 河口慧海誕生…中国や日本に伝承された漢訳の仏典に疑問をおぼえ、仏教の原典を求めて単身ネパールや鎖国中のチベットに入った、仏教学者で探検家の 河口慧海 が生まれました。

1914年 桜島が大噴火…鹿児島の桜島が大爆発をおこし、流失した30億トンという大量の溶岩で、これまで島だった桜島は対岸の大隈半島と陸続きになりました。

投稿日:2012年01月12日(木) 05:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)