「おもしろ古典落語」の52回目は、『豆屋(まめや)』というお笑いの一席をお楽しみください。
「八百勝さん、2円借りてきました」「おお、元気にやってきたな、そうか、隠居のおじさんが貸してくれたんだな。ところでおまえさんは素人だ。表通りばかりを商いしてたんじゃいけないよ」「へぇ」「このマス一ぱいが一升だが、十三銭のものなら十八銭、十五銭のものは二十銭という、思いきった掛け値をいわなくちゃいけない。値切る客がいるもんだ。へたをすると損をすることがあるから気をつけて商いをするように、いいね」
この前は売り物の名を忘れて失敗したが、こん度は大丈夫そう。「ええ、豆、そら豆でござい、上等なそら豆でございっ」と教えられたとおり、うら通りをがなり歩いていると、「おい、豆屋」「豆屋、豆屋ってぇと…」「豆屋はてめえだろ」「へい、そうでした、なにしろできたての…」「できたてのそら豆か」「いぇ、できたては、このわたしで」「くだらねぇこというな。で、一升いくらだ」と聞くので「二十銭でざいます」と答えると「二十銭? この野郎、大名料理じゃあるまいし、そんな高ぇそら豆食えるか」「ですから、そこは相談で…」「なにが相談だ、足もとをみやがったな。この長屋を見てみろ、自慢じゃねぇが、びんぼう所帯の集まりだ。いのちが惜しかったら、さっさとまけてみろ」「ですから…ですね、二十銭が高いなら、十八銭に…」「なにぃ! そこにある薪ざっぽうが見えねぇか?」「いいえ…二十銭から十八銭をひいて…」「じゃ二銭でいいんだな」おまけに、山盛りにさせられ、こぼれたのまでかっさらわれてさんざんです。
泣く泣く、また「豆、豆っ」とやっていると、「豆屋ァ」の声。「いけねぇ、この長屋じゃ、売り声をあげなけりゃよかったな。いまのお呼びはこちらさまで…」前よりもっとこわそうな顔で「一升いくらだ」と聞かれ、「へい、一升ですと…(もにょもにょ)」「聞こえねぇよ、こっちへ寄って、はっきりいえ」「一升…二銭」「なにぃ、この野郎、もう一度いってみろっ」「高いので?」「だれが高いといった。いいか、そら豆を一升二銭で売っていて、それでも稼業でございなんていえるか。てめぇ、盗んできたわけじゃねぇだろうな。違う? いいか、豆屋、おまえはどうやって飯を食ってる?」「へぇ、箸と茶わんで…」「ふざけたことぬかしやがって…、この薪ざっぽが見えねぇか?」 豆屋がおそるおそる十銭、十五銭、二十銭と値を上げると、「二十銭? それっぱかりのはした銭で豆ぇ買ったといわれちゃ、仲間うちに顔みせできるか」というわけで、とうとう五十銭に。
いい客がついたと喜んで、盛りをサービスしようとすると「やいやいっ、こちとら江戸っ子だ。だれが盛りをよくしろといった。はかるなら、なるたけふんわりと、すきまのあるようにはかってもらいてぇ。商売人は中をふんわり、たくさん詰めたように見せかけるのが当たり前だ。真ん中を少しへこませろ。ぐっと減らせ、ぐっーと。よし、すくいにくくなったら、マスを逆さにして、ポンとたたけ」「そしたら親方、マスはからっぽです」
「そうさぁ、おれんとこじゃ、買わねえんだ」
「12月9日にあった主なできごと」
1860年 嘉納治五郎誕生…講道館柔道の創始者であり、日本のオリンピック初参加に尽力するなどスポーツの海外への道を開いた 嘉納治五郎 が、生まれました。
1916年 夏目漱石死去…『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『草枕』などの小説で、森鴎外と並び近代日本文学界の巨星といわれる 夏目漱石 が亡くなりました。
1945年 農地改革…連合国軍総司令部(GHQ)は、占領政策として経済構造の民主化をはかりましたが、そのひとつが、この日指令された「農地改革に関する覚書」でした。1947年から49年の間に、全国260万町歩の小作地のうち200万町歩が自作農に解放され、地主制はほぼ壊滅することになりました。