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「新聞の父」 ジョセフ彦

今日12月12日は、数奇な運命からアメリカに渡り、幕末に通訳で活躍した浜田彦蔵(はまだ ひこぞう)・英語名ジョセフ・ヒコが、1897年に亡くなった日です。日本人として初めて米国籍を得、幕末の木戸孝允、西郷隆盛、伊藤博文らに、アメリカの民主政治を語って、開眼させたことでも知られています。

1837年、播磨国(現・兵庫県播磨町)で生まれた浜田は幼い頃に父を失くし、13歳の時に母を亡くした直後に義父の船に乗って江戸見物をした帰り、遠州灘で暴風雨にあって難破、51日間太平洋を漂流した後に、南鳥島付近でアメリカの商船に救われました。救助してくれた船員たちと共にゴールドラッシュに湧くサンフランシスコに滞在しました。

1852年、アメリカ政府より日本へ帰還させるよう命令が出てサンフランシスコを出発し、香港に到着したところ、そこで出会った日本人の体験談を聞くうち帰還をあきらめ、サンフランシスコにもどりました。下宿屋の下働きなどをしているうち、税関長のサンダースにみこまれて、ボルチモアのミッション・スクールで学校教育を受けさせてもらい、カトリックの洗礼を受けました。

1858年、日米修好通商条約で日本が開国したことを知った彦は、日本への望郷の念が強まったもののキリシタンでは帰国することはできないことを知り、帰化してアメリカ国籍を得ました。そして1859年、駐日公使・ハリスに通訳として採用され、9年ぶりの帰国を果たし、幕末外交の第一線に登場しました。当時は、英語に通じる日本人や、世界のニュースをよく知る者はほとんどいない時代です。訪ねると、すべて日本語でわかりやすく解説してくれる彦ほど便利で重宝な人物はいませんでした。

わが国最初の新聞である『海外新聞』は、彦がアメリカやイギリスの新聞や雑誌などから、日本人が知りたい情報を口述し、岸田吟香らが執筆したもので、1864年7月に発刊、およそ2年間つづきました。ニュースばかりでなく、旧約聖書の「創世記」を『世界開びゃくのはじめ』として連載したり、日本初の新聞広告も掲載しました。

1868年に18年ぶりに帰郷をはたし、1869年には大阪造幣局の創設に尽力、その後は大蔵省に務めて国立銀行条例の編さんに関わったり、貿易商として茶の輸出、精米所経営などを行ない、1897年、東京の自宅で亡くなりました。60年の激動の生涯でした。


「12月12日にあった主なできごと」

1834年 福沢諭吉誕生…慶応義塾を設立するなど、明治期の民間教育を広めることに力をそそぎ、啓蒙思想家の第一人者と評される 福沢諭吉 が生れました。

1862年 英国公使館を焼き討ち…1858年の「日米修好条約」に反対する長州藩士 高杉晋作 らは、幕府を窮地に立たせようと江戸・品川に建設中のイギリス公使館を焼き討ちにしました。

投稿日:2011年12月12日(月) 06:37

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)