児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「短歌ひとすじ100年」 の土屋文明

「短歌ひとすじ100年」 の土屋文明

今日12月8日は、歌人で国文学者の土屋文明(つちや ぶんめい)が、1990年に亡くなった日です。

1890年、現在の高崎市の農家に生まれた土屋は、幼少期から教師だった伯父の家で育てられ、その影響で文学を志すようになり、旧制高崎中学在学中から俳句や短歌を『ホトトギス』へ投稿するようになりました。中学の国語教師である村上成之が歌人、俳人であることを知って村上に師事し、自然主義文学の目が開かれました。

村上の紹介により伊藤左千夫を頼って上京した文明は、左千夫の家に住み込んで短歌指導を受け『アララギ』に参加、同人になって斉藤茂吉らから詩風を学びます。その後、一高を経て東大に進み、東大在学中から芥川龍之介、久米正雄らと第三次『新思潮』同人に加わり、小説や戯曲を書いたりしました。

1916年に大学を卒業すると、翌年から『アララギ』の選者に加わるようになり、島木赤彦の紹介で諏訪高女の教師として赴任、諏訪高女の教頭、松本高女の校長を歴任しながら作歌活動を続けました。1925年、第一歌集『ふゆくさ』を出版すると、その叙情的な歌の数かずに、歌壇から絶賛をあびました。

1930年、斎藤茂吉から『アララギ』の編集発行人を引きつぐと、アララギ派の指導的存在となります。以後、文明の作風は、生活に厳しく立ち向かう実感的で現実的な「文明調」とよばれる独自のものに変貌し、『往還集』『山谷集』『六月風』など歌集をつぎつぎに出版、歌人としての名声を確固たるものにしました。いっぽう、万葉集の研究にも打ち込み『万葉集年表』『万葉集私注』『万葉集名歌評釈』などの著作で、万葉学者としての地位を確立し、初心者のために短歌の入門書や解説書も出版しています。

1945年、東京・青山の自宅が空襲により焼失したため、群馬県吾妻郡原町(現在の吾妻町)に終戦をはさんで6年半移り住み、この地の渓谷沿いの静かな自然の中で自給自足の生活を送りながら、万葉集研究や『アララギ』の復興と地方誌の育成などに精力的に活動しました。その後は明治大学教授や宮中歌会の選者をしたり、1984年には文化功労賞、1986年に文化勲章を受章するなど、歌壇の最長老として君臨しつづけ、短歌ひとすじ100年の天寿を全うしました。


「12月8日にあった主なできごと」

BC441年 シャカの悟り…仏教を開いたインドの シャカ が、王宮の妻子の元を離れて6年目のこの日、悟りを開いたといわれます。

1941年 太平洋戦争勃発…日本の連合艦隊がハワイ・オワフ島の真珠湾に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を奇襲して、この日から3年6か月余にもおよぶ太平洋戦争に突入しました。 

1980年 ジョン・レノン射殺される…世界的なロックバンド、ビートルズの中心メンバーだったジョン・レノンが、ニューヨークの自宅アパート前で、熱狂的なファンにピストルで撃たれて亡くなりました。

投稿日:2011年12月08日(木) 07:27

 <  前の記事 「日本赤十字社」 と佐野常民  |  トップページ  |  次の記事 豆屋  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2594

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)