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素人うなぎ

「おもしろ古典落語」の51回目は、『素人(しろうと)うなぎ』というお笑いの一席をお楽しみください。

徳川幕府が終わって、明治の新しい政府ができたころのお話です。「おや、中村のお殿さまじゃございませんか、どちらへ」「おう、神田川の金か、もうわしは武士じゃないから、殿さまなんていっちゃいかん。実は、家を探しておるのじゃ」「すると、もとのお屋敷はいかがなさいました?」「屋敷のほうはそのままになっておる。世の中が変わってしまって、家じゅうの者が遊んでるわけにはいかぬから、商売でもやろうと思ってな。なれぬことをして大損してはつまらぬから、しるこ屋でもはじめようとな。しることいえば、奥も嬢も好きだし、わしも好んで食するからの」「あの、旦那さま、しるこ屋ってのは一日100杯売っても、もうけはたかがしれています。そこへいくと、料理屋はもうかります。料理でもうかって、お酒でもうかる。どうです、うなぎ屋なんぞおやりになっては」

「うーむ、うなぎ屋か、しかし、わしはうなぎどころか、魚にさわったこともない」「なにも、旦那がおやりになることはありません。職人を使えばいいんです。そうだ、わたしがひとつお手伝いいたしましょう」「いゃ、ことわろう。おまえは腕は確かだか、酒を飲むと人の見境いがなくなっていかん」「そいつをいわれると面目ねぇ、しかし旦那、あっしゃ先代の殿さまからごひいきをいただいて、お屋敷にはご恩があります。ようがす、あっしも男だ、酒を絶って住み込みで、一生懸命やろうじゃございませんか」──ということになって、それならと万事金に任せることにして開店にこぎつけました。

火を落とし、後始末をした金が「ごめんくださいまし、旦那さま、本日はおめでとうございます。おや、これは麻布の旦那さま、いらっしゃいまし。さきほど、お見えになったのことは知っていましたが、洗いものなどをしておりましたので、ごあいさつもせず、失礼いたしました」「金、いま、中村氏(うじ)からおまえの話をすっかり聞いたが、あれほど好きな酒を断ってやってくれるおまえに、ほとほと感心いたしたぞ」「へぇ、今朝ほど金毘羅(こんぴら)さまに、3年のあいだ酒を断ちました」「ほんとうに断ったのだな、それは残念であった。いや、本日は開業でもあるから、中村氏に願って、祝いのことゆえ、そのほうに一杯でもちそういたそうと思ったが…」「あのー、断つには断ちましたが、讃岐の金毘羅さまに断ちましたんで、まだ使いの天狗がまだ、門まで行ってねぇと思うんで…天狗が門をくぐったと同時に酒はやめます」「わかった、しかしたくさんは飲まさんぞ、この湯のみ3杯だけだ…」

ところが案の定、だんだん金の目が座ってきて、気がついた時はもう手遅れ。止めさせようとすると「なんでえ、一杯二杯の酒ぇ飲んだがどうしたってんでぇ。こんな職人がどこにいるってんだ。料理から、持ち運び、出前までするんだ、しみったれ」「これ、よさんか、ばか者め」「ばかたぁなんでぇ。大きなツラぁするねぇ。旦那旦那と持ち上げてりゃあいい気に……」「出ていけっ」「こんな家、誰がいるか」

しかし、金に出ていかれると営業はできないので、夫婦で心配していると、翌朝、金が面目なさそうに帰ってきます。酒は金輪際飲まないことを約束させて、また元の鞘(さや)にもどりました。それからしばらくは、金も懸命に働き、腕がいいので店も少しずつ繁盛していきます。ところが、旦那がある夜、金に遠慮しいしい寝酒をやっていると「ガラガラガラ」とすごい音。金の声がするので、さてはと駆けつけると、もうご機嫌。この前のことがあるから思わず旦那もかっとして「出ていけっ」。翌朝戻ってきましたが、またその翌日も同じことの繰り返し。仏の顔も三度で、もう金ももどってはこられません。

そうなると、困るのが店の方です。金ほどの腕の職人はすぐには雇えませんから、しかたなく、旦那が自分で料理しようと奥さんと二人で大奮闘。ぬるぬるしてつかめずに、糠(ぬか)を滑り止めにしてやっと一匹捕まえて、キリで往生させたと思ったら、今度は隣の奴がニョロニョロ逃げだしたのをつかまえて、「あっ、うなぎがわしの手からすべりでる。おのれ、逃がすものか」「あなた、うなぎといっしょに、なぜお歩きになるんですか」「ばか、歩かぬと、うなぎが手から離れてしまう、奥、はきものを出せ」「あなた、どこへいらっしゃいます?」

「どこへまいるか? 前にまわって、うなぎに聞いてくれ」


「12月1日にあった主なできごと」

1789年 ギロチンの採用…フランス革命のころ、死刑執行のために使われた首切り器械のギロチン。ギロチンは、医師のギヨタンが提案してこの日の国民議会で採用されました。ルイ16世やその妃 マリー・アントアネットをはじめ何万人もの人が首を切られましたが、ギヨタンもまたギロチンで処刑されました。

1997年 京都議定書…「地球温暖化防止会議」が、この日から10日間京都で行なわれ、地球温暖化の原因となる温室効果ガスをだす量を、先進国が国別に目標値を定めてへらしていくことを決めました。この取り決めは「京都議定書」と呼ばれています。

投稿日:2011年12月01日(木) 08:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)