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親子酒

「おもしろ古典落語」の46回目は、『親子酒(おやこざけ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

お酒の好きな親子がありまして、あるとき親父が息子に「どうも酒というのは、いろいろ間違いをおこしやすい。おまえはまだ若いんだから今が大事だ、酒をやめなさい。そのかわり、わしのほうも酒をやめる。どうだ、おたがいに禁酒しようじゃないか」と提案しました。息子も承知しました。しばらくはなんとかがまんしましたが、半月もすると、親父のほうがあやしくなってきました。

「おい、ばぁさんや、わしは昼間、用足しに出て疲れてしまった。今晩はなにかこう、ピリッと目がさめるようなのが飲みたいな」「トンガラシの水なんてどうです?」「金魚が目をまわしたんじゃねぇや、…どうだね、ないしょで、ちょいとこう一ぱい…」「なにをいってるんですよ、あの子と約束なすったでしょ、お酒飲まないって。それもあなたがいいだしたんですよ、あの子だって、ああやって我慢してるのに、だめです」「だいじょうぶだ。あれはねぇ、今夜は2、3軒用足しをしてから、ごひいきの横田さんのとこへ寄って帰るんだから、遅くなるよ。帰る前に寝ちまえば、わかりゃしないよ、なぁ、1本だけ…」「でも、ねぇ…」

根負けしたおかみさんは、「ないしょですよ、1本きりですからね」「あたしゃね、1本といったら1本、男子の一言金鉄のごとしだ」…。ところが、飲んべえのあさはかさ、もう半分、ほんの一口、もうちょっと…、そのうち酔いがまわってくると、「酒持ってこォいッ!」 とうとうヘベレケに酔っぱらってしまいました。

「なにぃ? 酔ってる? ご冗談でしょ。酔ったなんてのはこんなもんじゃないね。これからだよ。なに? あいつが帰ってきた? 早いね。膳をかたづけて、お父っつぁんは奥で調べものをしてますって、玄関で時間をつないどきなさい」 さすがにあわてて、酔いをごまかそうと無理に座りなおし、懸命に鬼のような顔を作って、障子の方をにらみつけています。

いっぽうの息子。こちらもグデングデンでご帰還。なんでも、横田のだんなが一杯やってるところへ行ったため、飲め飲めと勧めるのを、「親と子が、いや男と男がいったん約束したからには、ぜったいに飲みません」と断ると、「強情張ると出入りを差し止める」というので、息子が怒って「飲まないといったら飲まない」と突っぱねると、「えらいッ、その意気が気にいった、その意気で一ぱいッ!」と乗せられて、結局、ふたりで二升五合。

「ばか野郎! なんというなさけない男だ。…いいか、この身代をおまえにそっくりゆずろうと思えばこそ、口うるさく意見するんだ。それをおまえは……おい、ばぁさんや、せがれの顔が7つにも8つにも見えてきたよ、こりゃ化けものだね。こんな化けものみたいなやつにゃ、身代は渡せませんよ」「はははは、冗談いっちゃいけませんよ、お父っつぁん…

こんなグルグル回る家じゃ、もらったってしょうがない」


「10月27日にあった主なできごと」

1728年 クック誕生…キャプテン・クックのよび名で知られ、世界の海を縦横に走り回って、オーストラリアやニュージーランドの探検・調査などさまざまな業績をのこした18世紀の海洋探検家 クック が生まれました。

1859年 吉田松陰の処刑…「松下村塾」を開き、高杉晋作、木戸孝允ら幕末に活躍した多くの志士を育て、「安政の大獄」で逮捕された長州藩(山口県)の学者 吉田松陰 が処刑されました。

投稿日:2011年10月27日(木) 06:44

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)