児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  「蝦夷共和国」 と榎本武揚

「蝦夷共和国」 と榎本武揚

今日10月26日は、「戊辰(ぼしん)戦争」という明治新政府と旧幕府軍との戦いの最後の拠点・函館の五稜郭にたてこもって敗れたことで名高い榎本武揚(えのもと たけあき/ぶよう)が、1908年に亡くなった日です。

1836年、旗本の子として江戸に生まれた榎本武揚は、幼いころから幕府の昌平坂学問所で儒学・漢学を学び、1856年には幕府が新設した長崎海軍伝習所に入って、軍艦の操縦をはじめ航海術を修めたのちに江戸にもどり、海軍操練所の教授となりました。

1862年から5年間オランダに留学して、国際法や軍事知識、造船や船舶に関する知識を学び、1867年に帰国すると海軍奉行、翌年には副総裁に任ぜられ、実質的な幕府海軍のトップとなりました。徳川慶喜が大政奉還して幕府が倒れ、新政府軍が江戸城を無血開城すると、徹底抗戦を誓った榎本らは、新政府へ艦隊の引渡しを拒否、8艦からなる旧幕府艦隊を率いて江戸を脱出して、蝦夷地(北海道)に渡りました。そして、箱館(いまの函館)の五稜郭を拠点に、蝦夷地全域を支配する「蝦夷(えぞ)共和国」を樹立し、選挙によって榎本は総裁に選ばれました。

しかし、アメリカの援助をうけて最新鋭の軍艦を入手した新政府軍は、1869年4月に蝦夷地に上陸。海陸から箱館と五稜郭を総攻撃し、榎本軍を打ち破りました。(新選組の副長だった土方歳三はこの戦いで戦死しています) 榎本は、蝦夷征討軍総参謀になっていた黒田清隆の降伏勧告をことわり、オランダ留学時代から肌身離さず携えていたオルトラン著「万国海律全書」を黒田に託して討ち死にを覚悟しました。しかし将兵たちの戦意喪失のため5月に降伏、榎本以下幹部は江戸に送られて投獄されたのでした。

いっぽう榎本の非凡な才に感服していた黒田は、榎本を助命したいと各方面に説得にあたりその熱心な嘆願活動によって、榎本は一命をとりとめました。1872年に罪は許され、北海道開拓使の役人となって、黒田長官のもとで北海道開拓に力をそそぎました。1874年には海軍中将となり、特命全権大使としてロシアとの間に、樺太・千島交換条約を結び、樺太はロシア領、千島は日本領としました。さらに榎本は、1880年に海軍卿(のちの海軍大臣)となったばかりか、逓信・文部・外務・農商務各大臣などをつとめました。

旧幕臣で、新政府に反逆して「国賊」とまで呼ばれた榎本が、明治政府の要職について活躍したことはきわめて異例のことで、その誠実な人柄と豊富な専門知識が評価されたものと思われます。


「10月26日にあった主なできごと」

1909年 伊藤博文死去…尊王攘夷運動をへて維新後明治政府に入り、初代総理大臣として明治憲法の制定に努めた 伊藤博文 が、日韓併合の一歩をふみだすなか、朝鮮の独立をめざす青年に暗殺されました。

1963年 日本初の原子力発電…茨城県東海村の日本原子力研究所が日本で初めて原子力発電を行ないました。これを記念して、政府は1964年から10月26日を「原子力の日」と制定しました。

投稿日:2011年10月26日(水) 05:02

 <  前の記事 真空の発見者・トリチェリ  |  トップページ  |  次の記事 親子酒  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2553

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)