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『愚神礼讃』 のエラスムス

今日10月28日は、ルネサンス期のオランダの司祭で、神学者として活躍し、ルターの「宗教改革」のきっかけをこしらえたエラスムスが、1466年に生まれた日です。

司祭だった父と、医師の娘だった母との間の私生児としてロッテルダム近郊に生まれたデジデリウス・エラスムス(本名ではなく「愛を願う」というギリシア語) は、1483年に両親がペストによって相次いで亡くなると、修道院に預けられ、20歳をすぎたころデルフトに近いアウグスティヌス派の修道院に移り、26歳で司祭になりました。

ラテン語の古典に親しんだエラスムスは、1495年に神学博士号を取得するためにパリ大学で学びました。その間ギリシア・ローマの古典などから格言を集めるうち、中世の哲学である「スコラ学」や教会の悪習に批判を抱くようになりました。勉学のかたわらイギリス貴族学生の家庭教師をしていたところ、これが縁となって1499年にイギリスに渡り、生涯の友となる作家の トーマス・モア と知り合って、「神学研究」に生涯をかける決意を固めました。パリにもどったエラスムスは、『格言集』(1500年)、『キリスト教兵士提要』(1504年) をあいついで出版することで、学者としての名声を高めていきました。

1506年にイタリアのトリノ大学に学んで神学の博士号を取得した後、ケンブリッジ大学で教壇に立ち、トーマス・モアとの交友の中でアイデアを得て書かれたのが、教会を風刺した『愚神礼讃』(1511年)でした。道化に扮した愚神が自画自賛の演説をし、教会の形式主義や堕落ぶりをユーモラスに描いたもので、エラスムスの名声はいっきにヨーロッパじゅうに広がりました。さらに1516年には『校訂版 新約聖書』と9巻からなる『ヒエロニムス全集』を完成させ、学識者の間で高く評価されるに至りました。

これらの著作は、「宗教改革」で名高い ルター にも大きな影響を与えました。エラスムスはルターが不当に断罪されることがないよう手を尽くしながらも、ルターには党派を作ったり、教会の分裂を引き起こさないよう自重を求めたりしました。しかし、ルターの活発な活動にはついていけず、論争ののちに分かれていきました。

温厚なエラスムスは、あくまでキリスト教徒はひとつであることを望んでいたにもかかわらず、ルター派からも、カトリック側からも冷たい目でみられることになり、1536年に、スイス北端の都市バーゼルで死去しました。『愚神礼賛』はエラスムスの意図から離れ、反カトリック的な書物として各国で利用されたため、のちにカトリック教会の禁書目録に加えられることになってしまいました。


「10月28日にあった主なできごと」

1860年 嘉納治五郎誕生…講道館柔道の創始者であり、日本のオリンピック初参加に尽力するなど、スポーツの海外への道を開いた嘉納治五郎 が生まれました。

1886年 石川啄木誕生…歌集『一握の砂』『悲しき玩具』などを著し、民衆歌人、天才詩人といわれた 石川啄木 が生まれました。

1886年 自由の女神像…アメリカの独立100年を記念して、フランスから贈られた「自由の女神像」の除幕式がおこなわれました。ニューヨーク港ベッドロッド島にたたずむ46mの巨像は、アメリカのシンボルとなっています。

投稿日:2011年10月28日(金) 07:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)