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『ユートピア』 のトーマス・モア

今日7月6日は、イギリス・ルネサンス期の法律家、思想家で、『ユートピア』を著わしたトーマス・モアが、1535年に斬首刑により亡くなった日です。

1478年、ロンドンの裁判官の家に生まれたトーマス・モアは、大司教・大法官のジョン・モートンの家で教育を受け、オクスフォード大学で古典学を学びました。その後、リンカーン法学院で5年間法学の研究をしているときエラスムスと知り合い、ルネサンスの思想にふれました。

1501年に弁護士となりましたが、1504年に市民の支持により下院議員となります。1510年にロンドン市の法律顧問、1515年から国王ヘンリー8世に仕えるようになり、フランドルに派遣され、通商問題の使節などを務めました。

代表作となる文明批判書『ユートピア』は、フランドルにいたとき、エラスムスの著作『痴愚神礼讃』やアメリゴ・ベスピッチの旅行記『新世界』を読んで触発されて執筆したもので、1516年に出版されました。「ユートピア」とは、「理想郷」などと訳されていますが、「どこにもない」という意味のギリシア語で、モアは「私有財産を持たない、貨幣もなく、平等で平和な島」をユートピアと名づけました。その島に漂流して帰ってきた男の話を聞くという設定で物語を展開させたこの書は、じっさいのイギリス社会を批判し、社会主義的考え方を初めて明確にした名著と評価されています。

フランドルでの仕事ぶりにより、ヘンリー8世から信頼を受けたモアは、国王顧問官として宮廷に入り、財務次官、下院議長をへて、1529年には、官僚では最高位となる大法官に就任しました。ところが、ヘンリー8世がカサリン王妃と離婚し、アン・ブーリンと再婚しようとしたことからローマ教皇クレメンス7世と対立すると、熱心なカトリック教徒のモアは、大法官を辞任してしまいました。ヘンリー8世は離婚を強行した上、1534年に首長令を定めて、イングランド国教会をスタートさせ、その長となったのです。これに反対したモアは、査問委員会にかけられ、反逆罪とされてロンドン塔に幽閉され、翌年のこの日に処刑されたのでした。


「7月6日にあった主なできごと」

1783年 浅間山の大噴火…長野と群馬の県境にある浅間山がこの日に煙を吐き出し、2日後に大爆発をおこし、火砕流が村々を襲って、2万人の命を奪いました。火山灰が広い地域をおおったため作物が出来ず、天明の飢饉の要因となりました。

1885年 狂犬病ワクチン…フランスの細菌学者・化学者の パスツール が、1885年に狂犬病ワクチンを初めて人体に接種しました。

1893年 モーパッサン死去…『脂肪の塊』『首飾り』などの短編をおよそ260編も遺したフランスの作家モーパッサンが亡くなりました。

1912年 初のオリンピック参加…ストックホルムで開催された第5回オリンピックに、日本選手2名が出場しました。

1917年 アラビアのロレンス…トルコに抵抗するアラブ人の反乱を支援していたイギリス軍人トマス・エドワード・ロレンスは、ヨルダン南部の都市アカバにあるトルコ軍基地を奇襲して陥落させました。これら一連のオスマントルコからのアラブ独立闘争をえがいた映画「アラビアのロレンス」は1962年に公開(日本公開は1963年)され、世界中で大ヒットしました。

投稿日:2011年07月06日(水) 06:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)