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「中華民国」 と蒋介石

今日10月31日は、孫文の後継者として「中華民国」の統一を果たして最高指導者となった蒋介石(しょう かいせき)が、1887年に生まれた日です。

中国の浙江省奉化県の塩商人の家に生まれた蒋介石は、1907年に保定軍官学校を卒業後、日本の陸軍士官学校に留学して軍事教育を受けました。1911年に帰国すると、孫文 が中心となって清を倒して共和国をうちたてた「辛亥(しんがい)革命」に参加。孫文の信任を得て、1924年広東官学校の初代校長に就任しました。

1925年に孫文が亡くなると、国民革命軍総司令官となり、軍閥打倒のための北伐軍を指揮し、1927年に南京政府を打ち立てました。国民政府主席として全権を掌握した蒋介石は、以後、反共政策をとるようになり、中国共産党に対して武力討伐を5回も行いました。ところが1936年末、日本の進出を恐れた張学良らに、内戦の停止を求められて西安に幽閉される(西安事件)と、周恩来の仲介で、国民党と共産党は手を結ぶことになり(国共合作)、以後、国防最高委員会主席として、南京から重慶にしりぞいて、日中戦争を指導しました。

1945年に日中戦争に勝利すると、国共合作を放棄したことで、毛沢東 率いる中国共産党とのあいだに内戦が勃発しました。1948年の国民大会で初代大総統に就任しましたが、アメリカの軍事的財政的援助があったにもかかわらず、1949年、民衆の支持を失って共産党に敗北、台湾へ逃れました。以後は、中華民国(台湾)総統として君臨し、大陸へもどることを叫び続けましたが、1971年に国連で議席を失って以後、国際的にもますます孤立を深めて、1975年に亡くなったのでした。

なお、第2次世界大戦終了時、蒋介石は、戦勝国・中国の総統として、他の連合国と共に、敗戦国である日本に対する処置を決定する権限を持っていました。蒋介石は、祖国である中国を、無惨にふみにじった日本兵の残虐な行為をつぶさに見ていた上、自身も何度か生命の危険にあっています。しかし、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相らを説き伏せ、[戦争賠償金を日本に請求する権利を放棄すること] [日本の分割占領を阻止すること] [中国大陸にいた200余万の日本人の帰国をすみやかに実現すること] など、敵国・日本に対する寛大な処置を実現させた人物であったことを、私たちは忘れてはならないでしょう。


「10月31日の行事」

ハロウィン…カトリックの諸聖人の祝日である「万聖節」の前夜祭で、古くはケルト人の行っていた収穫感謝祭が、他民族の間にも行事として浸透していったものとされています。ハロウィンをアメリカに伝えたのは、1840年代のアイルランド移民でした。名物のおばけちょうちんは、カブで作っていましたが、アメリカには大きなカブがなかったためにカボチャを使うようになったようです。おばけちょうちんを持ち、魔女や妖精、お化けなどに仮装した子どもたちが、近くの家を1軒ずつ訪ねては Trick or treat. (お菓子をくれないといたずらをするよ)と大声をたてます。子どもたちがきた家では、用意しておいたお菓子をわたして、仮装をほめてあげるという楽しいお祭りです。最近は、日本でもよく目にするようになりました。


「10月31日にあった主なできごと」

1517年 95か条の論題…ドイツの神学者 ルター は、ローマ教会の免罪符の発行などを批判する「95か条の論題」を、ビッテンベルク城教会の扉にはりだしました。これがきっかけとなって、キリスト教の「宗教改革」がはじまりました。

投稿日:2011年10月31日(月) 06:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)