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宿屋の仇討

「おもしろ古典落語」の45回目は、『宿屋の仇討(あだうち)』というお笑いの一席をお楽しみください。

東海道は神奈川宿の「武蔵屋」という旅籠に、年のころ32、3歳の品の良い侍が入ってまいりました。「いらっしゃいませ、お泊まりでございますか?」「せっ者は、万事世話九郎ともうす者、昨夜は相州小田原の宿の、むじな屋ともうす宿に泊まったのだが、いやはや騒々しい宿でな、親子の巡礼が夜中に泣きだすやら、相撲取りが大いびきを出すやら、とんと寝ることの出来ぬありさまじゃった。今夜は、狭くともよい、静かな部屋をたのみたい」「かしこまりました」「そのほうの名は、なんともうす?」「伊八と申します」「イタチか。ニワトリの生血をすうというのは、そのほうだな」「おからかいになってはこまります。伊八でございます」「そうか、それでよかった。昨夜がムジナで、今夜はイタチではかなわん。では、泊めてもらうぞ」「奥の八番さんへご案内…」

その後にやってきたのが、やたら威勢のいい魚河岸の源兵衛、清八、喜六の三人連れ。この三人は、酒をのむのも食うのも、遊びに行くのもすべていっしょという悪友です。「こちとら、しじゅう三人だ。どうだ、泊れるか?」伊八はこれを「四十三人」と聞き違え、はりきって四十三人分の刺身をあつらえるなどの大騒ぎの末に、夜は夜で芸者をあげて飲めや歌えの大騒ぎです。

たまったものではないのが隣室の万事世話九郎。ポンポン手をたたいて「伊八、イハチ!」「お武家さま、お呼びになりましたか?」「先ほど、せっ者がもうしたこと覚えているか。静かな部屋をたのむともうしたではないか。それがなんだ、となりの騒ぎは。とても寝られん、静かな部屋ととりかえてくれ」「相すみません。もう、どの部屋ふさがっておりまして…、静かにするようにもうしてまいりますので、どうか、ごしんぼうを」

すぐに伊八は、三人組にかけあいにいきますが、恐いものなしの江戸っ子たち。「その野郎をここに連れてこい」といったところ、刀を2本差した侍と聞いて、しかたなく床に入ります。「ふん、こんな馬鹿な話はねぇな、せっかくこれから面白くなろってのに…、ああ、そういやぁ、江戸へ帰ぇると、相撲がはじまるなぁ、あのやぐら太鼓の音を聞くと、たまらなくなるんだ。行司が軍配をさっと引くだろ、とたんにドンと上突っ張り、ぐっと左が入った」「おい、おめぇはずいぶん長ぇ手だな。こんちくしょう、やる気か」立ちあがって、相撲をとりはじめます。もう一人もそばにあったお盆をとって軍配がわり。ドッタン、バッタン…ガタン、メリメリ……。

またまた伊八が、侍の苦情をつげにやってきます。「すまねぇ、すっかり忘れちまった。すぐ寝るよ。さっきは相撲の話なんぞしたから身体が動いちまっんたんだ、今度は、もう力の入らねぇ話をしながら寝ちまおう」ということになりました。ところが、源兵衛がとんでもない自慢話をはじめます。

以前、川越で小間物屋をしている伯父のところに世話になっていた時、仕事を手伝って武家屋敷に出入りしているうちに、石坂段右衛門という百五十石取りの侍の奥方と、ふとしたことからいい仲になる。二人で盃のやりとりをしているところへ、段右衛門の弟の大助というのに「不義者見つけた、兄に代わって成敗してくれん」 と踏みこまれた。この弟を逆にたたき斬ったあげく、奥方がここにある百両を持っていっしょに逃げておくれと泣くのを、足手まといになるとこれもバッサリ。逃げてから3年、いまだに捕まっていないといいます。

清八、喜六はすっかり感心し「源兵衛は色事師、色事師は源兵衛。スッテンテレツク テンツクツ…」と、神田ばやしではやしたてます。これを聞きつけた隣の侍、またも伊八を呼び「せっ者、万事世話九郎とは世を忍ぶ仮の名。まことは武州川越藩中にて、石坂段右衛門と申す者。三年探しあぐねた妻と弟の仇、源兵衛なる者がとなりの部屋にいることが相わかった。今すぐ踏みこんで、血煙りをあげようと思うが……」

「少々お待ちください、お武家さま。血煙りがあがったなんてことが評判になりましたら、客がこなくなります」「しからば、明朝、当宿はずれ出会い敵といたそう。ならば、当家に迷惑はかかるまい。もし取り逃がすにおいては同罪、一人も生かしてはおかん」とおどされ、宿屋中真っ青。実はこの話、両国の小料理屋で聞いた話を源兵衛がそのままいただいたのだが、弁解してももう遅い。あわれ、三人は、武蔵屋の若い衆にぐるぐる巻きにふん縛られ、泣きの涙で夜を明かします。

さて翌朝。昨夜のことをケロッとわすれたように、震えている三人を尻目に侍が出発しようとするので、伊八が「もし、お武家さま、仇の一件はどうなりました」「あ、あれか、座興じゃ座興。せっ者、ゆえあって妻をめとったこともないし、弟もない」「冗談じゃありません。何であんなことをおっしゃいました」

「ああでもいわにゃ、せっ者、夜っぴて寝られん」


「10月21日にあった主なできごと」

1520年 マゼラン海峡発見…スペイン王の協力を得て、西回りで東洋への航路をめざしたポルトガルの探検家 マゼラン は、出発からすでに1年が経過していました。そして、この日南アメリカ大陸の南端に海峡(マゼラン海峡)を発見、7日後の28日に南太平洋に到達しました。マゼランは、翌年3月にフィリピンで原住民の襲撃にあって死亡。9月に乗組員が世界一周を終えてスペインに到着したときは、5隻の船は1隻に、256名の乗組員はわずか18名になっていました。

1684年 徳川吉宗誕生…江戸幕府第8代将軍で、「享保の改革」という幕政改革を断行した 徳川吉宗 が生まれました。

1805年 トラファルガーの海戦…スペインのトラファルガー岬の沖で、ネルソン 率いるイギリス海軍がフランス・スペイン連合艦隊に勝利しました。しかし、旗艦ビクトリア号で指揮していたネルソンは、狙撃されて死亡。

1871年 志賀直哉死去…長編小説「暗夜行路」などを著し、武者小路実篤とともに「白樺派」を代表する作家 志賀直哉 が亡くなりました。

投稿日:2011年10月21日(金) 07:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)