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お血脈

「おもしろ古典落語」の39回目は、『お血脈(けちみゃく)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「牛にひかれて善光寺まいり」なんてことをいいます。むかしから、信心深い人がおまいりをする信州信濃(長野県)の善光寺で、[お血脈のご印] というのを売り出しました。これは、額(ひたい)のところにペタリと「南無阿弥陀仏」の印を押してもらえば、どんな罪を犯しても極楽往生間違いなしという、ありがたい代物です。なにしろ、わずか一文をお寺に納めれば、どんなに悪いことをしている者も、仏さまのお助けによって極楽浄土へ行けるというのですから、われもわれもと人が押しかけ、死んだ者はみんな極楽へ行ってしまいます。

おかげで弱ったのが地獄です。すっかりさびれてしまって、本格的な不景気となりました。えんま大王も、この世でした行いのすべてをうつすという家宝の浄玻璃(じょうはり)の鏡を床屋に売りはらい、赤鬼・青鬼たちから金棒を供出させてくず屋に売りはらい、制服である虎の皮のフンドシはぜいたく品だといって、これもシャバの骨董屋に売りはらう。といって、はだかではみっともないから、全員もめんのフンドシでまにあわせるという、みじめなありさまです。えんま大王、このままでは失脚必至とあって、幹部一同を奥の院に集めて対策会議を開きました。

するとこのとき、[見る目かぐ鼻]という鬼が進み出て「えー、おそれながら、大王に申し上げます。ご存じの通り、わたしは地獄耳、地獄鼻、世間のあらゆることを探り出す才能を持っています。近頃、シャバの善光寺という寺におきまして、[血脈の印] というものを信者のひたいに押しまくっております。すると罪が消えて、極楽往生するものがどんどん増えておるのです。つきましては、その[血脈の印] なるものを、腕のいい大泥棒を雇って、盗み出させてはいかがでしょうか」「そいつは名案だ。地獄に住んでおる盗人たちの戸籍をしらべてみよ」

こうして泥棒の人選がはじまり、ついに適任者は、石川五右衛門と決まりました。五右衛門といえばご存じ『浜の真砂はつきるとも、世に盗人の種はつきまじ』と辞世の句を残して、釜ゆでの刑で地獄に送られてきた大泥棒です。さて五右衛門、地獄の釜の中で浪花節をうなっていたところ、大王からのお召しとあって、シャバにいたころそのままに、黒の三枚小袖、どんすの巾ひろの帯、朱ざやの刀をかんぬきざしにして、素網の肌着を着こみ、重ね草鞋(わらじ) 、髪をぼうぼうと森のようにはやしたまま、六方を踏みながらノソリノソリとえんま大王の前へやってきました。

「……これこれしかじかだが、血脈の印を盗み出せるのはその方以外にない。やってのけたら重役にしてやる」「何かと思えば、そのようなこたぁ、赤子の手をひねるようなもの、いとたやすきことにござりまする」というわけで、久しぶりにシャバに舞戻った五右衛門、さすがに手慣れたもので、昼間は善光寺へ参詣するように見せかけて入り込み、ようすを探った上で、夜中に奥殿に忍び入って血脈を探しましたが、なかなか見当たりません。そのうち立派な箱が見つかったので、中を改めるとまさしくお血脈の印。「おう、あった、ありがてぇ、かたじけねえ。奪い取ったる血脈の印、これせぇあれば大願成就」と押しいただくと、ペタリと印がひたいに……

そのままスーッと、極楽へ行ってしまいました。


「9月16日にあった主なできごと」

1620年 メイフラワー号出帆…アメリカ建国のきっかけをつくった102人のピュリタン(清教徒)が、イギリスのプリマス港を出港しました。

1793年 渡辺崋山誕生…江戸時代後期の画家・洋学者で、著書『慎機論』で幕政批判をしたとして「蛮社の獄」に倒れた 渡辺崋山 が生れました。

1865年 小村寿太郎誕生…日英同盟、日韓併合の立役者であり、日露戦争が終結したポーツマス講和会議の全権大使を務めた外交官 小村寿太郎 が生まれました。

1877年 大森貝塚発掘開始…アメリカの動物学者 モース は、縄文時代の貝塚「大森貝塚」を発掘を開始しました。この発掘がきっかけとなって、日本に近代科学としての考古学がスタートしました。

投稿日:2011年09月16日(金) 08:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)