「おもしろ古典落語」の33回目は、『あくび指南(しなん)』というお笑いの一席をお楽しみください。
「おぅ、安っさん、すまないがちょっとつきあってくれないか」「つきあえ? なんだよ、熊」「じつはこの先に『あくび指南所』ってのが出来たんだ。で、そこへ行ってみようってんだ」「やだよ、ばかばかしい。あくびなんざ、自然にでるもんだ」「金をとって教えるからにゃあ、どこか違っているにちがいねぇ。だから、ちょっとつきあっておくれよ」「まっぴらごめんだね」「だからさ、おめえは見てるだけでいい、一人じゃ間が悪いや、な、頼むよ」ということで、安っさんは、熊さんといっしょに指南所へやってきます。
応対に出てきたのが品の良さそうな老人。夫婦二人暮らしで、取り次ぎの者もいないらしい。師匠がいうには、普段あなた方がやっているあくびは、あれは駄あくびといって、一文の値打ちもない。あくびという人さまに失礼なものを、風流な芸事にするところに趣があるとの講釈です。熊さんすっかり感心して、「あくびにも、いろんなものがあるんですか?」「そりゃございますよ。春夏秋冬、四季のあくびがございます。早い話、秋ならば月を見ながらあくびが出る。冬ならばコタツの中でのあくびとか、で、どういうあくびがよろしいですかな?」「初めてなんで、なるべくやさしいのをお願いします」
「それではまず季節柄、夏のあくびを指南いたしましょう。夏はまず、日も長く、退屈もしますので、船中のあくびですかな。……その心持ちは、昼過ぎに大川あたりで、客が一人。船頭がぼんやり煙草をこう、吸っている。身体をゆるやにゆすって……船がこう揺れている気分を出します。『おい、船頭さん、船を上手(うわて)のほうへやっておくれ……日が暮れたら、堀へあがっていっぱいやって、吉原にでも行って、遊ぼうか。船もいいが、一日乗ってると、退屈で、退屈で、(あくびをして)ふぁーあ…、ならねえ』とこんな感じです。やってみてください」
熊さん、さっそく真似して、身体をゆらすと、「そんなにゆすっちゃいけません」「波がきたとこで…、ああ、むずかしいね。へえ。はじめに何というんでしたっけ?」「船頭を呼びます…」「ああそうか、やいやい、船頭っ」「それじゃ、まるで喧嘩だ。退屈してるんですからもっと静かに、『おい、船頭さん』と上品にね」「船頭さん、船を上手のほうへやっておくんねぇ」「おくんねぇじゃなくて、『やっておくれ』です」「船を上手のほうへやっておくれ、これから堀ぃあがって、いっぺぇひっかけて、夜は吉原へころがりこんで…」「ころがりこむ? なんでそんな乱暴ないいかたになるんです? 『堀へあがっていっぱいやって、吉原にでも行って、遊ぼうか』ですよ」「これから堀ぃあがって、いっぺぇひっかけて、夜は吉原へつーっと行くと、女が待ってて『あーら、どうしたの? ちかごろごぶさたね』『ここんとこ忙しかったんだ』『うそばっかり、くやしいじゃないか!』って、きゅーっとつねられて」「なにをいってるんですか、わたしのいうとおりに」「……えー、吉原へ……こないだ行ったら勘定が足りなくなって」「そんなことはどうでもよろしい」「船もいいが一日乗っていると、退屈で退屈で……ハークション」「笑ってはいけません…」
これをえんえんと聞かされている相棒の安さん、あまりのアホらしさに、「あきれけえったもんだ。教わる奴も奴だが、教える方もいい年しやがって。さんざ待たされているこちとらの方が、退屈で退屈で、(あくびをして)ふぁーあ…、ならねえ」
「ほら、お連れの方はご器用だ。見ていておぼえた」
「8月4日にあった主なできごと」
1830年 吉田松陰誕生…佐久間象山 らに学び、1857年に私塾「松下村塾」を主宰し、幕末から明治にかけて活躍した 高杉晋作、伊藤博文 らおよそ80人の門下生を育て、1859年に「安政の大獄」で刑死した長州藩士 吉田松陰 が生まれました。
1875年 アンデルセン死去…『マッチうりの少女』『みにくいあひるの子』『人魚姫』など150編以上の童話を生み出し、「童話の王様」と讃えられる アンデルセン がなくなりました。
1944年 アンネ一家逮捕される…『アンネの日記』を書いたドイツ系ユダヤ人アンネ・フランクの一家が、オランダ・アムステルダムの隠れ家に潜行生活中、ナチスの秘密警察ゲシュタボに逮捕されました。