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「マルクス主義」 とエンゲルス

今日8月5日は、マルクスと協力し、科学的社会主義を創始したドイツのエンゲルスが、1895年に亡くなった日です。

1820年、紡績業で成功した裕福な経営者の長男として、ライン州バルメンに生れたエンゲルスは、17歳のとき厳格な父の命令で高校を退学し、ブレーメンで商業の見習いに入りました。そのかたわら、独学で、語学や哲学や政治学の勉強をつづけていました。

1841年、志願兵としてベルリンへ行き、軍務にたずさわりながら、ベルリン大学でヘーゲルの哲学やフランスの社会主義思想などをを聴講しました。そして除隊後にケルンの「ライン新聞社」を訪れたとき、ここで編集者をしていた生涯の友マルクスと出会います。

「労働者がしあわせになれる社会主義の社会をうちたてるためには、金持ちの資本家が会社や工場をにぎり、労働者はその資本家に使われるだけの社会のしくみを、改めなくてはならない」──ふたりは、すべての人間が平等に暮らすことのできる社会主義について、同じような考えでした。1844年、マルクスは26歳、エンゲルスは24歳でした。

まもなく父の経営する会社の、イギリス・マンチェスター工場で働くようになったエンゲルスは、ここでの経験や見聞をもとに『イギリス労働者の実態』を著わし、生産があがれば誰でも幸せになれるというアダム・スミス以来の経済学に疑問を呈しました。そして、国を追われてパリに来ていたマルクスを訪ね、労働者が中心になる社会にかえるために役立つ考え方を、共同で研究していこうと誓いました。

秘密の革命団体に加わって、その団体の基本方針となる『共産党宣言』を、1848年に発表。「万国の労働者よ、団結せよ」とうったえた宣言は、資本家たちをおこらせ、ふたりは、どこの国へ行っても追われるようになってしまいました。

エンゲルスはイギリスへもどって働き、マルクスに生活費を送りつづけながら、研究に協力しました。マルクスは、それからおよそ10年、雨の日も風の日もロンドンの大英博物館にかよいつづけて、研究の成果を『経済学批判』という本にまとめて発表。さらに8年後、『資本論』第1巻を出版しました。しかし、はげしい研究と貧しさのために身体をこわし、1883年、『資本論』第2巻を書きかけたまま、64歳の生涯を終えました。

残された『資本論』は、そののち立派に出版されました。エンゲルスが、マルクスの遺志をひきつぎ、10年の歳月をかけてマルクスの遺稿を整理しながら完成させたのです。『資本論』をまとめた翌年、エンゲルスも力つきて亡くなりました。『資本論』1-3巻はこうして世に残り、社会主義・共産主義の運動や国家建設に、理論的指導の役割を果たしたのです。


「8月5日にあった主なできごと」

1864年 下関戦争…イギリス・フランス・オランダ・アメリカ4か国の連合艦隊が、長州藩(山口県)に戦争をいどみました。3日間の戦いの末に連合艦隊が完勝しました。攘夷の無謀さをはっきりと知った長州は、イギリスに接近し、欧米から新知識や技術を積極的に導入して、軍備を近代化していきました。そして同時期に近代化路線に転換した薩摩藩とともに、倒幕への道を一気に進むことになります。

投稿日:2011年08月05日(金) 07:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)